東専房
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東専房
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せまじきものは。
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東博の大徳寺展、古河市博の鎌倉から古河へ展、神奈川県公文書館の古文書展、うまいこと優先順位付けて予定調整しないと、ぜんぶ行き損ねるな。
November 1, 2026 at 4:29 PM
こうした在京領主の遠国所領の不知行化に、享徳の乱の勃発という東国の固有性を見るべきなのか、遠国ならではの普遍的な状況と見るべきなのか、さらに一歩踏み込んで考えたいところ。前者であれば、改めて享徳の乱勃発との因果関係を論じる意義も生じてこよう。
November 1, 2026 at 4:18 PM
亀ヶ谷憲史氏「一五世紀中葉における関東京方所領の支配―永享の乱から享徳の乱勃発まで―」(『日本歴史』942、2026.11)、近年も議論が重ねられている在京領主の東国所領について、永享末~享徳年間の鎌倉公方不在期・再建鎌倉府期の状況を、政治史と絡めつつ論じる。幕府・上杉方と鎌倉公方方の対立という政治動向と、室町期荘園制論的なありかたの両視点から注目されている問題であって、新たな成果が示された意義は大きい。
November 1, 2026 at 4:17 PM
木下聡氏『[中世から近世へ]武士の官位でみる戦国史』(平凡社、2026.10)、思いがけずおおくりいただき、ありがとうございます。早速読み始めましたが、膨大なデータと事例収集に裏打ちされた確かな行論で、まだ冒頭数十ページながらすでに読むのが楽しいです。
November 1, 2026 at 5:40 AM
続いて建長寺の風入れ。北条時頼像を拝めたし、特集の秩父金仙寺の宝物展もよかった。
October 31, 2026 at 9:06 AM
鎌倉円覚寺の風入れへ。舎利殿と黄梅院もまわる。
目当ての文書は足利尊氏、基氏、持氏のものが見れて眼福。
October 31, 2026 at 5:53 AM
卒業論文が享徳の乱前後で、最初の雑誌論文が「薩埵山体制」なのだから、そりゃはなから峰岸さんを追いかけているようなもんですよ。今も足利基氏論をまとめながら「薩埵山体制」と向き合っている。
October 26, 2026 at 3:17 PM
いただいたお手紙は、今でも時折読み返しては研究のモチベーション源にしているし、弟子を僭称したいと思ったこともある。実際、学会の質疑で峰岸さんが「私は東国民族主義者なので…」と言っていたのは、半ば冗談だとしても(峰岸さんのことだから少なくとも半分は本気だと思う)、私にとって立脚点を定めるうえで大きな助けとなっている。学術的なご業績はもとより、史跡保存のための市民運動やその下地となる地域の人々とのふれあいなど、学ぶところが底知れないほど大きい。

あまりお元気ではないという話を聞いてからずっと心配だったが、ついにこの報せを耳にするときが来てしまった。
October 26, 2026 at 3:06 PM
世代のわりには、峰岸さんと接する機会がそれなりにあったように思う。同じ東国史ということもあって、抜刷や著書をお送りして柔らかい丸文字のていねいなお手紙をいただいたり、学会の懇親会で『享徳の乱』のご執筆時にその構想を聞かせていただいたこともあったが、それ以外にも、日野市の資料館の真慈悲寺展を案内していただいたこともあったし、中世史サマーセミナーでいっしょに道後温泉本館に行ったりもした。企画展の展示室でたまたまお会いした際には、展示の「高幡不動胎内文書」を見ていたところ、「これ、僕が見つけたんだよ」と後ろからひょっこり現れて、発見時の話を教えていただいた。いつもおだやかで飄々とされていた。
October 26, 2026 at 2:51 PM
ご冥福をお祈りいたします。
October 26, 2026 at 2:33 PM
峰岸さん亡くなられたのか。しばし呆然としてしまった。
October 26, 2026 at 2:33 PM
革靴で切通しを越えた疲れからようやく回復した。
October 25, 2026 at 3:43 AM
内覧会の前に、鎌倉歴史文化交流館の「鎌倉の尼寺」展を見て、亀ヶ谷の切通しを越えて、公開中の長寿寺に立ち寄り、鶴岡二十五坊跡の御谷へ。また、内覧会のあとは西御門の太平寺跡あたりを歩いた。
先月、鎌倉公方家の菩提寺の話をした身としては、尼寺も長寿寺も太平寺も個人的にホットなトピックであり、ホットなうちに見られてよかった(人前で話す前に関連史跡くらい見ておけという話ではあるが)。安楽椅子研究者を気取っていたが、鎌倉の歴史を見るにはやはり現地へ行って谷戸の規模感をつかんでおかないといけない。長寿寺といい御谷といい西御門といい、谷戸の規模がそのまま施設の規模に直結する。規模感を捉えておかないと見誤る。
October 24, 2026 at 6:01 AM
昨日は鎌倉国宝館「瑞泉寺七百年」展の内覧会へ。お招きいただき、ありがとうございました。
足利基氏・氏満の坐像や夢窓疎石の頂相など瑞泉寺の重物はもちろんのこと、黄梅院文書や遊行寺所蔵の後醍醐天皇像なども出ており、見応えじゅうぶんでした。
展示は今日から12月6日まで。
October 24, 2026 at 5:37 AM
8歳の「珍事」、理祐喝食(応永33.5.22/頓死)【中世人今際図巻】
imawazukan.blog.shinobi.jp/Entry/258/
中世人今際図巻 理祐
死に様データベース
imawazukan.blog.shinobi.jp
October 20, 2026 at 1:29 PM
希代不思議の入寂、空覚(応永17.9.1/病死)【中世人今際図巻】
imawazukan.blog.shinobi.jp/Entry/257/
中世人今際図巻 空覚
死に様データベース
imawazukan.blog.shinobi.jp
October 16, 2026 at 5:03 PM
順徳と土御門の配流先とりちがえてた。史実ベースでとか言っておきながらこれ。精進します。
公家等の配流先が西に偏っている、というのはいささか事実にそぐわないように思うが、何か根拠があってのことだろうか。崇徳、後鳥羽、順徳、後醍醐や俊寛など隠岐や四国や南海に流された例は有名だが、古代中世にはそれ以外に無数の流罪の例があり、それらを扱った研究の蓄積も少なくない(はず)。さしあたってウェブ上で読めるものとしては、渡邉俊「中世前期の流刑と在京武士」↓の研究史整理が新しくかつ詳しそう。
福岡女子大学機関リポジトリ fwu.repo.nii.ac.jp/records/3110
福岡女子大学機関リポジトリ
CMS,Netcommons,Maple
fwu.repo.nii.ac.jp
October 16, 2026 at 3:27 AM
専門外の方が思いつく論点は、だいたい専門の人がすでに取り組んでいるか、あるいはもしドンピシャの論点がないとすれば、そもそも論点の立て方が間違えていて、それを是正した論点ですでに専門家が論じている、というのは、研究者でもしばしば遭遇することである、ということをここに書き留めておきたい。
October 15, 2026 at 1:46 PM
鎌倉幕府と東夷についても、征夷大将軍がまさしく東夷を征伐する役職であるというところから、王朝との関係にもいろいろな議論があるわけで、東国=人外・野蛮というような単純なものではない、ということは(中世後期だけど)東国史研究者として言っておきたい。
October 15, 2026 at 11:08 AM
また、貴族等に限るとしても、『公卿補任』等から11〜12世紀の流罪の記述を拾ってみるとだいたい、伊豆、常陸、下野、越後、阿波、長門、出雲、備後、信濃、佐渡、周防、安芸あたりで、やはり顕著な東西差は乏しい。なので、“京都の人間の配流先が西に偏っている”という主張は、史実に照らして正しいとはいえなそう。
もっとも、これ以上のことを既存の研究を見ずに語るのはあれこれ語るのは危うかろう。
October 15, 2026 at 10:08 AM
江戸末〜明治の上総の国学者立野良道という人に『流罪年表』という著作があって、日本書紀から南北朝期までの流罪の記録を集めている(私も初めて知った)。これから配流先の多い国を拾ってみると、伊豆61、安房14、上総15、常陸14、越後17、佐渡50、隠岐43、阿波19、土佐51、日向11等々と、これといって東西に有意な差は認められない。資料環境の制約上、遺漏も少なくなかろうが、それでもこの傾向が覆るほどのものではないだろう。
October 15, 2026 at 9:47 AM
公家等の配流先が西に偏っている、というのはいささか事実にそぐわないように思うが、何か根拠があってのことだろうか。崇徳、後鳥羽、順徳、後醍醐や俊寛など隠岐や四国や南海に流された例は有名だが、古代中世にはそれ以外に無数の流罪の例があり、それらを扱った研究の蓄積も少なくない(はず)。さしあたってウェブ上で読めるものとしては、渡邉俊「中世前期の流刑と在京武士」↓の研究史整理が新しくかつ詳しそう。
福岡女子大学機関リポジトリ fwu.repo.nii.ac.jp/records/3110
福岡女子大学機関リポジトリ
CMS,Netcommons,Maple
fwu.repo.nii.ac.jp
October 15, 2026 at 9:44 AM
Reposted by 東専房
天皇や貴族が流されるのはだいたい四国で、遠くても九州や隠岐の島で「西の国」だし、四国は海一本で京都文明とも島流し関係で密接だったりする。
こういうの見ると、本当に中世までの日本は「西国中心」で、東国なんてもう「人外の国」みたいな扱いだよなという、鎌倉幕府や江戸幕府など「東夷の幕府」ってのは、なんというか「人外の東国を武人たちが収めるのは別にいいや」ってぐらいノリなのかもなあって。
「流されるにしろ西」ってのは、そうとうな東国に対する偏見スゴイよね(笑)
October 14, 2026 at 10:59 PM
Reposted by 東専房
農相サポートチーム、結成したとたんの解散。
October 14, 2026 at 9:49 AM