古事記を現在は翻訳中です。
r.voyager.co.jp/epm/e1_63732...
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大神、大明、上(天)を呪って無に帰せと言っているわけですが、これらは何かというと既存の宗教の神を呪えという事で、仏教のイメージには反しますが、般若心経は大乗仏教の経という事で、大乗仏教は他の宗教の神の存在を許していないという事ですね。実際に既存の神の存在や教えというものが悟りを阻んでしまうという面もあるからですが、とはいえ神社で神様に般若心経を唱えるのは全く良くないという事ですね。
大神、大明、上(天)を呪って無に帰せと言っているわけですが、これらは何かというと既存の宗教の神を呪えという事で、仏教のイメージには反しますが、般若心経は大乗仏教の経という事で、大乗仏教は他の宗教の神の存在を許していないという事ですね。実際に既存の神の存在や教えというものが悟りを阻んでしまうという面もあるからですが、とはいえ神社で神様に般若心経を唱えるのは全く良くないという事ですね。
故にハンニャハラミッタ(偉大な叡智)を知り
大神が呪われる事を肯定し
大明が呪われる事を肯定し
上(天)が無となる事を肯定する
それらを呪い等しく無とし
呪う事を等しくし一切の苦を取り除く事ができる
(それは)真実であり嘘はない
故にハンニャハラミッタを説き
呪いとはつまり呪いであるとし以下(呪文)
ギョウテイギョウテイハラギョウテイハラソウギョウテイ(呪いの呪文?)
ボジサハカハンニャの経(悟りを求める者への叡智の教え)と心得る
故にハンニャハラミッタ(偉大な叡智)を知り
大神が呪われる事を肯定し
大明が呪われる事を肯定し
上(天)が無となる事を肯定する
それらを呪い等しく無とし
呪う事を等しくし一切の苦を取り除く事ができる
(それは)真実であり嘘はない
故にハンニャハラミッタを説き
呪いとはつまり呪いであるとし以下(呪文)
ギョウテイギョウテイハラギョウテイハラソウギョウテイ(呪いの呪文?)
ボジサハカハンニャの経(悟りを求める者への叡智の教え)と心得る
故にハンニャハラミッタを知り
大神が呪うを是とし
大明が呪うを是とし
上を無とすを是とし
是らを呪い等しくに無とし
呪うを等しくし一切の苦を除くに能う
実を真にし虚せず
故にハンニャハラミッタを説き
呪いは即ち呪いと説き曰く
ギョウテイギョウテイハラギョウテイハラソウギョウテイ
ボジサハカハンニャの経を心にす
故にハンニャハラミッタを知り
大神が呪うを是とし
大明が呪うを是とし
上を無とすを是とし
是らを呪い等しくに無とし
呪うを等しくし一切の苦を除くに能う
実を真にし虚せず
故にハンニャハラミッタを説き
呪いは即ち呪いと説き曰く
ギョウテイギョウテイハラギョウテイハラソウギョウテイ
ボジサハカハンニャの経を心にす
故知般若波羅蜜多
是大神呪
是大明呪
是無上
呪是無等
等呪能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多
呪即説呪曰
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦
菩提薩婆訶般若心経
故知般若波羅蜜多
是大神呪
是大明呪
是無上
呪是無等
等呪能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多
呪即説呪曰
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦
菩提薩婆訶般若心経
悟りとはこうありたいと思う心を無にし、恐れる心を恐れ、悟りから心が離れるような事からは遠ざかると、つまり表面的な認識を俯瞰して逆転した考え方で物事を捉える必要があると。
その理想を突き詰めて、(前世・現世・来世)全ての世界において、悟りを開いた者はその仏の偉大な叡智を拠り所とし
アノクタラ三バク三ボダイ(悟りによって見える世界?)を得ると
悟りとはこうありたいと思う心を無にし、恐れる心を恐れ、悟りから心が離れるような事からは遠ざかると、つまり表面的な認識を俯瞰して逆転した考え方で物事を捉える必要があると。
その理想を突き詰めて、(前世・現世・来世)全ての世界において、悟りを開いた者はその仏の偉大な叡智を拠り所とし
アノクタラ三バク三ボダイ(悟りによって見える世界?)を得ると
故にボジサタ(悟りを求める人)はハンニャハラミッタ(仏の偉大な叡智)を拠り所とし
故に心がケイゲ(妨げる事)を無とし、ケイゲは無くなる
故に有を無とし、怖れる事を恐れ、離(心が悟りから離れる事)を遠ざけ
一切は逆転をする
夢(理想)が究(行き着く事)を願い涅槃(悟る事)をついにし
三世(前世・現世・来世)の諸々の仏はハンニャハラミッタを拠り所とし
故にアノクタラ三バク三ボダイ(意味不明)を得る
故にボジサタ(悟りを求める人)はハンニャハラミッタ(仏の偉大な叡智)を拠り所とし
故に心がケイゲ(妨げる事)を無とし、ケイゲは無くなる
故に有を無とし、怖れる事を恐れ、離(心が悟りから離れる事)を遠ざけ
一切は逆転をする
夢(理想)が究(行き着く事)を願い涅槃(悟る事)をついにし
三世(前世・現世・来世)の諸々の仏はハンニャハラミッタを拠り所とし
故にアノクタラ三バク三ボダイ(意味不明)を得る
故にボダイサタ(悟りを求める人)はハンニャハラミッタ(偉大な叡智)に依り
故に心はケイゲ(妨げる事)を無としケイゲを無とす
故に有を無とし怖るを恐れ離を遠くし
一切は顛し倒る
夢は究を想い涅槃を竟にし
三世(前世・現世・来世)の諸の仏はハンニャハラミッタに依り
故にアノクタラ三バク三ボダイを得
故にボダイサタ(悟りを求める人)はハンニャハラミッタ(偉大な叡智)に依り
故に心はケイゲ(妨げる事)を無としケイゲを無とす
故に有を無とし怖るを恐れ離を遠くし
一切は顛し倒る
夢は究を想い涅槃を竟にし
三世(前世・現世・来世)の諸の仏はハンニャハラミッタに依り
故にアノクタラ三バク三ボダイを得
故菩提薩埵依般若波羅蜜多
故心無罣礙無罣礙
故無有恐怖遠離
一切顛倒
夢想究竟涅槃
三世諸仏依般若波羅蜜多
故得阿耨多羅三藐三菩提
故菩提薩埵依般若波羅蜜多
故心無罣礙無罣礙
故無有恐怖遠離
一切顛倒
夢想究竟涅槃
三世諸仏依般若波羅蜜多
故得阿耨多羅三藐三菩提
前半の方は仏教的な知識がないと理解できない感じですが、後半は五感以外の感性で無を認識すると無には光もなく光りが尽きる事もなく、そうすると死や老いも無となり、無を認識して得られるものは無であると。
前半の方は仏教的な知識がないと理解できない感じですが、後半は五感以外の感性で無を認識すると無には光もなく光りが尽きる事もなく、そうすると死や老いも無となり、無を認識して得られるものは無であると。
舎利子(仏の教えを学ぶ者)は諸々のやり方(五感)を肯定し
空は生せずを互いにする
滅しない事は汚れない事
浄化しない事は増えない事
それらを減せず
故に空中は色を無とし
思い込みを持つ事無く認識を行い
眼、耳、鼻、舌、身の意識を無くし
色、声、香、味、触でのやり方(五感)を無くし
目で見る世界を無くし
そうして意識を無にするに至り世界を認識する
無には明(光)が無く
また無には明(光)が尽きる事も無く
そうして老いて死す事は無に至る
また老い死す事は無となり
苦を無くし尽くし
道を滅すを集め
知恵を無とす
また得る事は無く無をもって得た事とする
舎利子(仏の教えを学ぶ者)は諸々のやり方(五感)を肯定し
空は生せずを互いにする
滅しない事は汚れない事
浄化しない事は増えない事
それらを減せず
故に空中は色を無とし
思い込みを持つ事無く認識を行い
眼、耳、鼻、舌、身の意識を無くし
色、声、香、味、触でのやり方(五感)を無くし
目で見る世界を無くし
そうして意識を無にするに至り世界を認識する
無には明(光)が無く
また無には明(光)が尽きる事も無く
そうして老いて死す事は無に至る
また老い死す事は無となり
苦を無くし尽くし
道を滅すを集め
知恵を無とす
また得る事は無く無をもって得た事とする
舎利子は諸の法を是とし
空は生せずを相にす
滅せずは垢せず
浄せずは増えず
是らを減せず
故に空が中にし色を無とし
想いを受くを無く識を行い
眼、耳、鼻、舌、身の意を無くし
色、声、香、味、触の法を無くし
眼の界を無くし
乃ち意を無くすに至り界を識す
無は明を無し
亦た無は明が尽くを無し
乃ち老い死すは無に至る
亦た老い死すは無く
苦を無とすに尽くし
道を滅すを集め
智を無とす
亦た得るを無く無を以てし得る所とす
舎利子は諸の法を是とし
空は生せずを相にす
滅せずは垢せず
浄せずは増えず
是らを減せず
故に空が中にし色を無とし
想いを受くを無く識を行い
眼、耳、鼻、舌、身の意を無くし
色、声、香、味、触の法を無くし
眼の界を無くし
乃ち意を無くすに至り界を識す
無は明を無し
亦た無は明が尽くを無し
乃ち老い死すは無に至る
亦た老い死すは無く
苦を無とすに尽くし
道を滅すを集め
智を無とす
亦た得るを無く無を以てし得る所とす
空相不生
不滅不垢
不浄不増
不減是
故空中無色
無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
無眼界
乃至無意識界
無無明
亦無無明尽
乃至無老死
亦無老死
尽無苦
集滅道
無智
亦無得以無所得
空相不生
不滅不垢
不浄不増
不減是
故空中無色
無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
無眼界
乃至無意識界
無無明
亦無無明尽
乃至無老死
亦無老死
尽無苦
集滅道
無智
亦無得以無所得
物事の表面的な事を認識するのに使う五感とは違う感覚で物事を見ると悟りに近づくけれども、仏の教えを学ぶ人らが既存の五感をなくすのは簡単ではないという話ですね。
物事の表面的な事を認識するのに使う五感とは違う感覚で物事を見ると悟りに近づくけれども、仏の教えを学ぶ人らが既存の五感をなくすのは簡単ではないという話ですね。
仏はマカハンニャハラミッタ(最高に偉大な叡智)を説き
経(教え)を心得て(物事を)観察するとおのずとボサツ(悟りを求める人)となり
ハンニャハラミッタ(偉大な叡智)を深く(理解し)行い
その時に(物事を)照らす五蘊(五感以外の感性)と出会う
多くの人は空虚に捉われ一切(全て)が苦となり舎利子(仏の教えを学ぶ者)に災いとなる
色(目に見える事)は空(空虚)と異ならず
空は色と異ならず
色(目に見える事)はつまりそれらは空(空虚)とし
空はつまりそれらは色とし
思い込みをもって認識を行う
またそれらのように再びし
舎利子(仏の教えを学ぶ者)は諸々のやり方(五感)を肯定し
仏はマカハンニャハラミッタ(最高に偉大な叡智)を説き
経(教え)を心得て(物事を)観察するとおのずとボサツ(悟りを求める人)となり
ハンニャハラミッタ(偉大な叡智)を深く(理解し)行い
その時に(物事を)照らす五蘊(五感以外の感性)と出会う
多くの人は空虚に捉われ一切(全て)が苦となり舎利子(仏の教えを学ぶ者)に災いとなる
色(目に見える事)は空(空虚)と異ならず
空は色と異ならず
色(目に見える事)はつまりそれらは空(空虚)とし
空はつまりそれらは色とし
思い込みをもって認識を行う
またそれらのように再びし
舎利子(仏の教えを学ぶ者)は諸々のやり方(五感)を肯定し
仏はマカハンニャハラミッタ(最高に偉大な叡智)を説き
経を心にし観え自ずとボサツ(悟りを求める人)に在る
ハンニャハラミッタ(偉大な叡智)を深く行い
時にし照らす五蘊(五感と異なる対象を識別する感性)と見ゆ
皆は空が度し一切は苦とし舎利子(釈迦の弟子)を厄し
色は空と異にせず
空は色と異にせず
色は即ち是らは空とす
空は即ち是らは色とす
想いを受け識を行う
亦た是らの如くを復たす
舎利子は諸の法を是とし
仏はマカハンニャハラミッタ(最高に偉大な叡智)を説き
経を心にし観え自ずとボサツ(悟りを求める人)に在る
ハンニャハラミッタ(偉大な叡智)を深く行い
時にし照らす五蘊(五感と異なる対象を識別する感性)と見ゆ
皆は空が度し一切は苦とし舎利子(釈迦の弟子)を厄し
色は空と異にせず
空は色と異にせず
色は即ち是らは空とす
空は即ち是らは色とす
想いを受け識を行う
亦た是らの如くを復たす
舎利子は諸の法を是とし
仏説摩訶般若波羅蜜多
心経観自在菩薩
行深般若波羅蜜多
時照見五蘊
皆空度一切苦厄舎利子
色不異空
空不異色
色即是空
空即是色
受想行識
亦復如是
舎利子是諸法
仏説摩訶般若波羅蜜多
心経観自在菩薩
行深般若波羅蜜多
時照見五蘊
皆空度一切苦厄舎利子
色不異空
空不異色
色即是空
空即是色
受想行識
亦復如是
舎利子是諸法
修正点が多かったので時間がかかりましたが、翻訳品質は上がっているかと。とりあえず原文と現代語訳のみで、解説は随時追加予定です。
r.voyager.co.jp/epm/e1_64964...
修正点が多かったので時間がかかりましたが、翻訳品質は上がっているかと。とりあえず原文と現代語訳のみで、解説は随時追加予定です。
r.voyager.co.jp/epm/e1_64964...
古事記は既存の日本各地の神話をベースに再構成して天皇家(ヤマト政権)の成り立ちを神話として描くのが目的であり、そもそもが本来の神話の伝承を目的とした書物ではなかったという事ですね。
古事記は既存の日本各地の神話をベースに再構成して天皇家(ヤマト政権)の成り立ちを神話として描くのが目的であり、そもそもが本来の神話の伝承を目的とした書物ではなかったという事ですね。
古事記と基本的に内容は同じですが、古事記では最初に柱を回る儀式を行った際にヒルコとアハ島が生まれた(二柱の死産)という話がありますが、日本書記ではその話は無くなっていると。
古事記と基本的に内容は同じですが、古事記では最初に柱を回る儀式を行った際にヒルコとアハ島が生まれた(二柱の死産)という話がありますが、日本書記ではその話は無くなっていると。
陽神は先に唱え以下「喜ばしいかな、美しいといえる女性と遇うならば。」
少女はこの読みはオトメ
よって陰神に問い以下「汝の身体は、どのように構成されているか。」
答えて以下「私が身体は一つの雌の元のところがあり。」
陽神が以下「私が身体はまた雄の元のところがあり。思うに私の身が元のところをもって、汝が身の元のところと合うを欲す。」
それらの事があって陰陽は出会い交わる事を開始し夫婦となった
陽神は先に唱え以下「喜ばしいかな、美しいといえる女性と遇うならば。」
少女はこの読みはオトメ
よって陰神に問い以下「汝の身体は、どのように構成されているか。」
答えて以下「私が身体は一つの雌の元のところがあり。」
陽神が以下「私が身体はまた雄の元のところがあり。思うに私の身が元のところをもって、汝が身の元のところと合うを欲す。」
それらの事があって陰陽は出会い交わる事を開始し夫婦となった