ルクソール
最上段の柱廊を抜けると中庭、その更に奥の壁に巌窟が掘られており、その中に最深部に当たる位置に御本尊であるアメン神の礼拝堂がある。天井は夜空をイメージして黒く塗られている。中庭は壁で三分割され、左右に太陽神と王の礼拝堂が構える。
ハトシェプスト女王葬祭殿の周囲では発掘が今も続いており、日本と中国、それぞれのチームの小屋が競うように建っているとガイドが教えてくれた。
テラスからはルクソールの街が一望できる。壮大な柱廊が左右に展開するファサードとは裏腹に、崖が裏に迫るので奥行きはないが、現代に通じる非常に秀逸なデザインであり、帰りも何度も振り向いて写真を撮影した。
ルクソール
最上段の柱廊を抜けると中庭、その更に奥の壁に巌窟が掘られており、その中に最深部に当たる位置に御本尊であるアメン神の礼拝堂がある。天井は夜空をイメージして黒く塗られている。中庭は壁で三分割され、左右に太陽神と王の礼拝堂が構える。
ハトシェプスト女王葬祭殿の周囲では発掘が今も続いており、日本と中国、それぞれのチームの小屋が競うように建っているとガイドが教えてくれた。
テラスからはルクソールの街が一望できる。壮大な柱廊が左右に展開するファサードとは裏腹に、崖が裏に迫るので奥行きはないが、現代に通じる非常に秀逸なデザインであり、帰りも何度も振り向いて写真を撮影した。
ルクソール
10分程度で車はハトシェプスト女王葬祭殿に到着する。
古代エジプトで唯一の女性ファラオ、ハトシェプスト女王(BC1479-1458)が治世に築いた壮麗な祭殿であり、切り立った断崖の壁に築かれたせいか、風化せずに比較的綺麗な状態で今も残る。
狛犬のようにライオンが左右に鎮座するゲートを通り正面から祭殿に近づく。スロープを登り、三階建ての二階部分のテラスへと上がる。
祭殿の柱に沿ってハトシェプスト女王の顔をしたオシリス神の石像が並ぶ。壁画のファラオの顔が剥がれているのは、女王が続くことを恐れた後世の王か、偶像崇拝を禁止する異教徒に削られたものだろう。
ルクソール
10分程度で車はハトシェプスト女王葬祭殿に到着する。
古代エジプトで唯一の女性ファラオ、ハトシェプスト女王(BC1479-1458)が治世に築いた壮麗な祭殿であり、切り立った断崖の壁に築かれたせいか、風化せずに比較的綺麗な状態で今も残る。
狛犬のようにライオンが左右に鎮座するゲートを通り正面から祭殿に近づく。スロープを登り、三階建ての二階部分のテラスへと上がる。
祭殿の柱に沿ってハトシェプスト女王の顔をしたオシリス神の石像が並ぶ。壁画のファラオの顔が剥がれているのは、女王が続くことを恐れた後世の王か、偶像崇拝を禁止する異教徒に削られたものだろう。
ルクソール
最後は手前に戻ってラムセス4世(BC1151-1145)の墓。王家の谷で保存状態が良い墓の一つで見学者も多い。
最深部に安置された2m以上の高さがある巨大な石棺がこの墓の見どころ。蛇や従者が整列する壁画や天井画も色鮮やかで美しい。
3つの墓を見学し終えてガイドと合流。車は王家の谷を出発して、近くのアラバスタと呼ばれる特殊な石を加工した石細工の店への案内される。
アマルナ美術の最高傑作、王妃ネフェルティティの胸像のレプリカなど魅力的な作品が並んでるが、何しろ重いので購入はキャンセル。ガイドも売り付ける気はなく素っ気なく店を後にする。
ルクソール
最後は手前に戻ってラムセス4世(BC1151-1145)の墓。王家の谷で保存状態が良い墓の一つで見学者も多い。
最深部に安置された2m以上の高さがある巨大な石棺がこの墓の見どころ。蛇や従者が整列する壁画や天井画も色鮮やかで美しい。
3つの墓を見学し終えてガイドと合流。車は王家の谷を出発して、近くのアラバスタと呼ばれる特殊な石を加工した石細工の店への案内される。
アマルナ美術の最高傑作、王妃ネフェルティティの胸像のレプリカなど魅力的な作品が並んでるが、何しろ重いので購入はキャンセル。ガイドも売り付ける気はなく素っ気なく店を後にする。
ルクソール
ラムセス3世の墓はかなり奥まで進めて、ミイラが安置されていたであろう葬祭殿に突き当たる。その手前にある脇の小部屋の壁画特に素晴らしく、王と神々の戯れが鮮やかに描かれている。
2番目に向かったのは王家の谷の最深部にあるセティ2世(BC1199-1193)の墓。
こちらはラムセス3世の墓と比べると壁画の残存状況はイマイチで、ライトが少ないせいか薄暗く、観にくる人も少ない。おそらく大半の墓はこんな感じなんだろう。とはいえ、入り口付近の立体感あるレリーフは造形が素晴らしく、色が残っていたらさぞかし美しかったことだろう。
ルクソール
ラムセス3世の墓はかなり奥まで進めて、ミイラが安置されていたであろう葬祭殿に突き当たる。その手前にある脇の小部屋の壁画特に素晴らしく、王と神々の戯れが鮮やかに描かれている。
2番目に向かったのは王家の谷の最深部にあるセティ2世(BC1199-1193)の墓。
こちらはラムセス3世の墓と比べると壁画の残存状況はイマイチで、ライトが少ないせいか薄暗く、観にくる人も少ない。おそらく大半の墓はこんな感じなんだろう。とはいえ、入り口付近の立体感あるレリーフは造形が素晴らしく、色が残っていたらさぞかし美しかったことだろう。
ルクソール
王家の谷の駐車場から土産屋が連なる通路を歩いて巨大な模型が展示されてる観光案内所へ。ここから車に乗ることもできるが徒歩で先に進む。
右手にツタンカーメンの墓があるが別料金なのでスルー。香港の青年曰くツタンカーメンの墓はミイラ以外博物館に移してしまったので見所がないらしい。
入場券で3つの墓に入ることができる。左手の行列に並んでラムセス3世(BC1186-1156)の墓へ。
王家の谷で最も保存状態が良い墓の一つで鮮やかな壁画が残っている。ピラミッドと比べると傾斜は緩く広々している。動物を模した神々や王族の描かれた壁画の随所にヒエログリフが刻まれている。
ルクソール
王家の谷の駐車場から土産屋が連なる通路を歩いて巨大な模型が展示されてる観光案内所へ。ここから車に乗ることもできるが徒歩で先に進む。
右手にツタンカーメンの墓があるが別料金なのでスルー。香港の青年曰くツタンカーメンの墓はミイラ以外博物館に移してしまったので見所がないらしい。
入場券で3つの墓に入ることができる。左手の行列に並んでラムセス3世(BC1186-1156)の墓へ。
王家の谷で最も保存状態が良い墓の一つで鮮やかな壁画が残っている。ピラミッドと比べると傾斜は緩く広々している。動物を模した神々や王族の描かれた壁画の随所にヒエログリフが刻まれている。
ルクソール
ホテル周辺は夜も騒音が絶えず、十分に寝付けなかった。ガイドが8時に来るので、出発までに朝食を済ます。食堂には他に韓国人グループ、日本人は見当たらない。
案内してくれるのは少し太めの陽気な男性。途中で香港の青年をピックアップ。ルクソール神殿を横切ってナイル川を渡り、左岸の王家の谷へ。朝から日差しが強く、車窓は延々と砂の荒地が広がる。
ルクソールが栄えたのは紀元前16世紀からの新王国時代、当時はテーベと呼ばれて首都が置かれていた。ホテルがある右岸は生者の町として神殿が置かれ、左岸は死者の町として王族の墳墓が造営され、その中でも最も墳墓が集まるのが王家の谷である。
ルクソール
ホテル周辺は夜も騒音が絶えず、十分に寝付けなかった。ガイドが8時に来るので、出発までに朝食を済ます。食堂には他に韓国人グループ、日本人は見当たらない。
案内してくれるのは少し太めの陽気な男性。途中で香港の青年をピックアップ。ルクソール神殿を横切ってナイル川を渡り、左岸の王家の谷へ。朝から日差しが強く、車窓は延々と砂の荒地が広がる。
ルクソールが栄えたのは紀元前16世紀からの新王国時代、当時はテーベと呼ばれて首都が置かれていた。ホテルがある右岸は生者の町として神殿が置かれ、左岸は死者の町として王族の墳墓が造営され、その中でも最も墳墓が集まるのが王家の谷である。
カイロ
電光掲示板を見ると搭乗便がない。焦ってゲートに走るが遅延してるだけらしい。両替のため一旦外に出してもらう。戻ると警備が何か(施し?)を要求してたようだが、意図が分からず無視してしまう。
夜6時の便は大幅遅延して2時間遅れで離陸、夜9時過ぎにルクソールに着くが、荷物受け取りも30分以上かかる。外に出るとタクシーの客引きがいるが、交渉しても値段を下げてくれないので配車アプリに頼む。ところが配車も難癖付けてアプリの値段を守ろうとせず降りるときに大喧嘩。
宿泊はビーナスホテル。日本語対応らしい...その気配はない。偽情報や嘘に疲れて、とりあえず明日の準備だけして床に就く。
カイロ
電光掲示板を見ると搭乗便がない。焦ってゲートに走るが遅延してるだけらしい。両替のため一旦外に出してもらう。戻ると警備が何か(施し?)を要求してたようだが、意図が分からず無視してしまう。
夜6時の便は大幅遅延して2時間遅れで離陸、夜9時過ぎにルクソールに着くが、荷物受け取りも30分以上かかる。外に出るとタクシーの客引きがいるが、交渉しても値段を下げてくれないので配車アプリに頼む。ところが配車も難癖付けてアプリの値段を守ろうとせず降りるときに大喧嘩。
宿泊はビーナスホテル。日本語対応らしい...その気配はない。偽情報や嘘に疲れて、とりあえず明日の準備だけして床に就く。
カイロ
外に出ると砂漠地帯には珍しく雨が降り出した。博物館はオープンな構造で屋根がない部分があり、建物の中なのに小雨がかかる。売店をざっと見てから、特に何も買わずに博物館を後にする。
ホテルで荷物を受け取るが、Uberには安い配車が全くない。仕方なく割高な車を呼び空港まで向かう。高速道路に入ったはずなのに何故か車道脇を歩行者が歩いている。反対側では火事が起きている。無秩序なカイロの日常に言葉が出ない。ラマダン中にもかかわらず、運転手は気を遣ってナツメヤシのドライフルーツ(エジプトではナッツや煎餅のようなものらしい)をくれた。割高なだけあって、接客も運転も心地よかった。
カイロ
外に出ると砂漠地帯には珍しく雨が降り出した。博物館はオープンな構造で屋根がない部分があり、建物の中なのに小雨がかかる。売店をざっと見てから、特に何も買わずに博物館を後にする。
ホテルで荷物を受け取るが、Uberには安い配車が全くない。仕方なく割高な車を呼び空港まで向かう。高速道路に入ったはずなのに何故か車道脇を歩行者が歩いている。反対側では火事が起きている。無秩序なカイロの日常に言葉が出ない。ラマダン中にもかかわらず、運転手は気を遣ってナツメヤシのドライフルーツ(エジプトではナッツや煎餅のようなものらしい)をくれた。割高なだけあって、接客も運転も心地よかった。
カイロ
地上階は売店と飲食店が並ぶ。並ばずに座れそうなパン屋を見つけてキッシュを注文。隣の席は卒業旅行の日本人女性2人組。女性だけでエジプトは相当度胸がある。
食事を終えてから一旦屋外に出て別館へ。ここには世界ふしぎ発見でお馴染みの吉村作治先生が発掘を進めているクフ王第2の船の原寸大復元模型が先に復元された第1の船と並んで展示されている。発掘調査の写真を展示したコーナーでは吉村先生のお姿を随所で拝見できる。日本人として誇らしい。
クフ王の船は4階建の建物にすっぽり収まる大きさ。1階からエレベータで最上階まで上ってからスロープで下り、様々な角度から巨大な木造船を観察した。
カイロ
地上階は売店と飲食店が並ぶ。並ばずに座れそうなパン屋を見つけてキッシュを注文。隣の席は卒業旅行の日本人女性2人組。女性だけでエジプトは相当度胸がある。
食事を終えてから一旦屋外に出て別館へ。ここには世界ふしぎ発見でお馴染みの吉村作治先生が発掘を進めているクフ王第2の船の原寸大復元模型が先に復元された第1の船と並んで展示されている。発掘調査の写真を展示したコーナーでは吉村先生のお姿を随所で拝見できる。日本人として誇らしい。
クフ王の船は4階建の建物にすっぽり収まる大きさ。1階からエレベータで最上階まで上ってからスロープで下り、様々な角度から巨大な木造船を観察した。
カイロ
BC1200年頃に海の民の襲来により新王国時代は終焉を迎え、これ以後、古代エジプト王国は衰退期に入り、徐々にギリシャやローマの影響が強まってくる。
スフィンクスの石像も王権の象徴ではなくギリシャ神話の化け物の姿。人物を模った石像も顔立ちがヘレニズム的な写実性を帯びる。
一方、異民族の支配者も古代以来の文化に同化したのか、比較的新しい年代のミイラや木棺も基本的には新王国時代と同じ構造。これがBC30年にローマに滅ぼされ、紀元後にキリスト教が流入することで、3000年近く続いた文明が断ち切られる。
展示はここまで。ざっと見るだけで約4時間。一旦地上に降りる。
カイロ
BC1200年頃に海の民の襲来により新王国時代は終焉を迎え、これ以後、古代エジプト王国は衰退期に入り、徐々にギリシャやローマの影響が強まってくる。
スフィンクスの石像も王権の象徴ではなくギリシャ神話の化け物の姿。人物を模った石像も顔立ちがヘレニズム的な写実性を帯びる。
一方、異民族の支配者も古代以来の文化に同化したのか、比較的新しい年代のミイラや木棺も基本的には新王国時代と同じ構造。これがBC30年にローマに滅ぼされ、紀元後にキリスト教が流入することで、3000年近く続いた文明が断ち切られる。
展示はここまで。ざっと見るだけで約4時間。一旦地上に降りる。
カイロ
ツタンカーメンの展示室を後にしてメイン展示室に戻る。最も華やかで遺跡や発掘物も多く残っている新王国時代から再開する。
巨大な石像が多く並んでいるが、多いのはラムセス2世、そしてトトメス1世やラムセス3世など、有名な王やその王妃の像が大半だ。いずれもギョロッとした目つきで遠くを見つめている。
植物の柄が入った板状の石は宮殿の床の一部。今も色褪せず赤や緑の色彩が残っている。
並んだ顔は神官か兵士か分からないが日本の仏像と似た表情をしてる。古代エジプトがギリシャ芸術に影響を与え、ガンダーラを越えて仏像として日本まで伝来した、なんてこともあるかもしれない。
カイロ
ツタンカーメンの展示室を後にしてメイン展示室に戻る。最も華やかで遺跡や発掘物も多く残っている新王国時代から再開する。
巨大な石像が多く並んでいるが、多いのはラムセス2世、そしてトトメス1世やラムセス3世など、有名な王やその王妃の像が大半だ。いずれもギョロッとした目つきで遠くを見つめている。
植物の柄が入った板状の石は宮殿の床の一部。今も色褪せず赤や緑の色彩が残っている。
並んだ顔は神官か兵士か分からないが日本の仏像と似た表情をしてる。古代エジプトがギリシャ芸術に影響を与え、ガンダーラを越えて仏像として日本まで伝来した、なんてこともあるかもしれない。
カイロ
ツタンカーメン王墓の発見、発掘までの経緯がパネルで展示されている。発見したのはハワード・カーターというイギリス人だが、実際にきっかけを作ったのは発掘現場で働いていた12歳の少年であった。ハワードの関係者が発掘後に次々と不幸に見舞われたので、ミイラの呪いと呼ばれることがある。
ツタンカーメン王のミイラは今もルクソールの墳墓に安置されているので、博物館には写真が代わりに置いてある。少年王のミイラは痩せ細っていて、生前の苦しんだ表情がそのまま残っており、気の毒なくらい生々しい。病死なのか暗殺なのか死因はまだ不明であり、ミステリーは今も尽きない。
カイロ
ツタンカーメン王墓の発見、発掘までの経緯がパネルで展示されている。発見したのはハワード・カーターというイギリス人だが、実際にきっかけを作ったのは発掘現場で働いていた12歳の少年であった。ハワードの関係者が発掘後に次々と不幸に見舞われたので、ミイラの呪いと呼ばれることがある。
ツタンカーメン王のミイラは今もルクソールの墳墓に安置されているので、博物館には写真が代わりに置いてある。少年王のミイラは痩せ細っていて、生前の苦しんだ表情がそのまま残っており、気の毒なくらい生々しい。病死なのか暗殺なのか死因はまだ不明であり、ミステリーは今も尽きない。
カイロ
ツタンカーメンの展示室は奥に並行してもう一つ部屋が設けられている。こちらは有名な黄金のマスクやマトリョシカのごとくミイラを何重にも覆う棺が並べて展示されている。黄金のマスクの前は列ができていたが、それほど待たずに色んな角度からから眺めることができた。想像していた以上に実物は小さく、全てが金で作られており、3000年以上経た今も輝きを放つ。
捕虜となった異国の人間がかたどられた杖、神々の置物、冥界を司り死者を守護するアヌビス神の像など、故人を偲び、護る目的で、ありとあらゆるものが副葬品として収められている。
まさにここが大エジプト博物館のハイライトである。
カイロ
ツタンカーメンの展示室は奥に並行してもう一つ部屋が設けられている。こちらは有名な黄金のマスクやマトリョシカのごとくミイラを何重にも覆う棺が並べて展示されている。黄金のマスクの前は列ができていたが、それほど待たずに色んな角度からから眺めることができた。想像していた以上に実物は小さく、全てが金で作られており、3000年以上経た今も輝きを放つ。
捕虜となった異国の人間がかたどられた杖、神々の置物、冥界を司り死者を守護するアヌビス神の像など、故人を偲び、護る目的で、ありとあらゆるものが副葬品として収められている。
まさにここが大エジプト博物館のハイライトである。
カイロ
第2フロアから横に逸れてツタンカーメンの特別展示室に向かう。こちらは資金提供した日本政府に配慮してか日本語の解説が付いている。暗い室内は常に混み合っており、中々落ち着いて見ることができない。
ツタンカーメン王は1920年代に墳墓が発掘されており、他の王の墓とは異なり、知名度の低さから盗掘を免れたおかげで、副葬品がほぼ完璧に揃って残っている。
最初は王が生前の衣服や家具が展示されている。粉々に砕けてしまったものもあれば、椅子やベッド、そして褌はほぼそのままの形をとどめる。3000年以上前のものとは思えないほど綺麗で驚嘆する。
カイロ
第2フロアから横に逸れてツタンカーメンの特別展示室に向かう。こちらは資金提供した日本政府に配慮してか日本語の解説が付いている。暗い室内は常に混み合っており、中々落ち着いて見ることができない。
ツタンカーメン王は1920年代に墳墓が発掘されており、他の王の墓とは異なり、知名度の低さから盗掘を免れたおかげで、副葬品がほぼ完璧に揃って残っている。
最初は王が生前の衣服や家具が展示されている。粉々に砕けてしまったものもあれば、椅子やベッド、そして褌はほぼそのままの形をとどめる。3000年以上前のものとは思えないほど綺麗で驚嘆する。
カイロ
旧王国時代、中王国時代の展示が順番に続く。
最初のフロアの奥の間は木棺や石棺が並んでいる。木棺に描かれた鋭い目はホルスの目と呼ばれるもので、収められたミイラが外の世界を眺めるためのもの。死後も魂が生き続けると考える古代エジプト人の死生観を窺い知れる。
次のフロアには中王国以降の副葬品の発掘物が並ぶ。文字や絵が描かれた石板やアクセサリー。翡翠や銀などエジプトでは産出されない素材が使われているのは、当時のエジプトが西アジアや地中海の対岸と交易が盛んであったことを示す。青銅製の剣は日本の古墳時代に通じるものがあり、祭具とされていた点も共通する。
カイロ
旧王国時代、中王国時代の展示が順番に続く。
最初のフロアの奥の間は木棺や石棺が並んでいる。木棺に描かれた鋭い目はホルスの目と呼ばれるもので、収められたミイラが外の世界を眺めるためのもの。死後も魂が生き続けると考える古代エジプト人の死生観を窺い知れる。
次のフロアには中王国以降の副葬品の発掘物が並ぶ。文字や絵が描かれた石板やアクセサリー。翡翠や銀などエジプトでは産出されない素材が使われているのは、当時のエジプトが西アジアや地中海の対岸と交易が盛んであったことを示す。青銅製の剣は日本の古墳時代に通じるものがあり、祭具とされていた点も共通する。
カイロ
大エジプト博物館は緩やかな雛壇状の展示室に上から下に向かって時系列に沿って古代エジプトの美術品や発掘物が展示されている。
古代エジプト文明の起源はBC3100年頃、今から5000年前。日本がまだ狩猟採集社会の縄文時代だった頃にエジプトではナイル川の恵みで農耕文明が芽生えて統一王朝が誕生した。
BC27〜22世紀の古王国時代、ピラミッドでお馴染みのカフラ王、メンカウラー王の石像が並ぶ。一方で最も有名なクフ王の唯一の彫像は旧博物館(エジプト考古学博物館)に残ってるのでここにはない。
砂に埋もれてたせいか4000年以上前の作品とは思えないほど状態が良い。
カイロ
大エジプト博物館は緩やかな雛壇状の展示室に上から下に向かって時系列に沿って古代エジプトの美術品や発掘物が展示されている。
古代エジプト文明の起源はBC3100年頃、今から5000年前。日本がまだ狩猟採集社会の縄文時代だった頃にエジプトではナイル川の恵みで農耕文明が芽生えて統一王朝が誕生した。
BC27〜22世紀の古王国時代、ピラミッドでお馴染みのカフラ王、メンカウラー王の石像が並ぶ。一方で最も有名なクフ王の唯一の彫像は旧博物館(エジプト考古学博物館)に残ってるのでここにはない。
砂に埋もれてたせいか4000年以上前の作品とは思えないほど状態が良い。
カイロ
ゲートを抜けると展示室まで大階段を登る。階段にはファラオの立像や石碑、スフィンクスなど古代遺跡の様々な発掘物が所々に置かれて、古代に対するロマンを高めてくれる。
ほぼ全てのファラオが目がぎょろっとした古代エジプト特有の抽象的な顔立ちをしてる中、宗教改革で有名なアメンホテプ4世だけは端正で写実的な顔をしている。近くには唯一の女性ファラオで有名なハトシェプスト女王に関連する石像もある。
各展示物には説明が付いており、これらがナイル川沿いのエジプト全土から発掘されてることが分かる。
階段を登り切ると正面の窓から昨日訪れたピラミッド群を眺めることができる。
カイロ
ゲートを抜けると展示室まで大階段を登る。階段にはファラオの立像や石碑、スフィンクスなど古代遺跡の様々な発掘物が所々に置かれて、古代に対するロマンを高めてくれる。
ほぼ全てのファラオが目がぎょろっとした古代エジプト特有の抽象的な顔立ちをしてる中、宗教改革で有名なアメンホテプ4世だけは端正で写実的な顔をしている。近くには唯一の女性ファラオで有名なハトシェプスト女王に関連する石像もある。
各展示物には説明が付いており、これらがナイル川沿いのエジプト全土から発掘されてることが分かる。
階段を登り切ると正面の窓から昨日訪れたピラミッド群を眺めることができる。
カイロ
大エジプト博物館(GEM:Grand Egyptian Museum)は昨年末にグランドオープンしたばかりでまだ新しく綺麗。ピラミッドを意識した建物やオベリスクをモチーフにした巨大モニュメントに度肝を抜かれる。
館内に入ると巨大なラムセス2世像が出迎えてくれる。脇のカウンターで日本語ガイドを探すが見つからなかったので諦めて英語版を手に取る。
開放的なギャラリーには人工池や水路が施されていて、その小島に石像やオベリスクが飾られていて、中々凝っている。
ツタンカーメンの展示室が一番の目的だが、そのためには先に一般展示室に向かう必要があるみたいだ。
カイロ
大エジプト博物館(GEM:Grand Egyptian Museum)は昨年末にグランドオープンしたばかりでまだ新しく綺麗。ピラミッドを意識した建物やオベリスクをモチーフにした巨大モニュメントに度肝を抜かれる。
館内に入ると巨大なラムセス2世像が出迎えてくれる。脇のカウンターで日本語ガイドを探すが見つからなかったので諦めて英語版を手に取る。
開放的なギャラリーには人工池や水路が施されていて、その小島に石像やオベリスクが飾られていて、中々凝っている。
ツタンカーメンの展示室が一番の目的だが、そのためには先に一般展示室に向かう必要があるみたいだ。
カイロ
2日目の朝は昨晩と同じルーフトップテラスへ。ピラミッドを眺めながら優雅に朝食をとる。早朝なので車通りも少なく空気が澄んでいる。
大エジプト博物館は8:30で事前予約済み。Uberは昨日のトラウマがあるので使わずに歩いて向かうことにする。
地図では徒歩10分で着くところ、歩道や横断歩道が整備されてないので車に轢かれないよう命懸けで博物館まで歩く。地下鉄の建設工事も進められてるが当分は完成しなさそう。
物々しいゲートを抜けて敷地の中へ。早朝から観光客が多い。博物館は日本のODAや日系企業の協力で整備されたので入場口に片隅に申し訳程度に記念碑が建っている。
カイロ
2日目の朝は昨晩と同じルーフトップテラスへ。ピラミッドを眺めながら優雅に朝食をとる。早朝なので車通りも少なく空気が澄んでいる。
大エジプト博物館は8:30で事前予約済み。Uberは昨日のトラウマがあるので使わずに歩いて向かうことにする。
地図では徒歩10分で着くところ、歩道や横断歩道が整備されてないので車に轢かれないよう命懸けで博物館まで歩く。地下鉄の建設工事も進められてるが当分は完成しなさそう。
物々しいゲートを抜けて敷地の中へ。早朝から観光客が多い。博物館は日本のODAや日系企業の協力で整備されたので入場口に片隅に申し訳程度に記念碑が建っている。
カイロ
帰り道は真っ暗。治安が気になるので早足でホテルへ帰る。
最上階へ向かう。ルーフトップのカフェからライトアップされたピラミッドを眺めることができる。闇に輝くクフ王とカフラ王のピラミッド。神秘的な光景である。
ホテルの中は古代風の置物や絵が溢れている。部屋のドアにも壁画さながらアヌビス神やファラオが描かれていて正直呪われそうで怖い。
部屋にはシャワーや冷房があり設備だけなら申し分ないが、コンセントが壊れていたりテレビが付かなかったり不具合が多いのは値段相応。
ベッドでぐっすり寝た後、夜明け頃に街中のスピーカーから流れるコーランを読み上げるアザーンで目を覚ます。
カイロ
帰り道は真っ暗。治安が気になるので早足でホテルへ帰る。
最上階へ向かう。ルーフトップのカフェからライトアップされたピラミッドを眺めることができる。闇に輝くクフ王とカフラ王のピラミッド。神秘的な光景である。
ホテルの中は古代風の置物や絵が溢れている。部屋のドアにも壁画さながらアヌビス神やファラオが描かれていて正直呪われそうで怖い。
部屋にはシャワーや冷房があり設備だけなら申し分ないが、コンセントが壊れていたりテレビが付かなかったり不具合が多いのは値段相応。
ベッドでぐっすり寝た後、夜明け頃に街中のスピーカーから流れるコーランを読み上げるアザーンで目を覚ます。
カイロ
ラマダンで近くの有名なコシャリの店が営業しておらず、ギザの街中を散策しながら夕食のお店を探す。
エジプトの街はインドよりも更にカオスで、道端には馬の糞やゴミが散乱し、空腹で気が立ってるのか車道ではドライバー同士の喧嘩が絶えない。
大通りから脇に入るとラマダン開けに向けて屋台が料理やパンを仕込んでいる。スピーカーから日没の祈りの声が響き渡り住民たちが飲食店に集まり始める。
安全に夕食を食べられそうな店が見つからず現地チェーンのファストフード店へ。店内に柄の悪い若者が集まってきたので外の高架下のテラス席でハンバーガーを食べる。
カイロ
ラマダンで近くの有名なコシャリの店が営業しておらず、ギザの街中を散策しながら夕食のお店を探す。
エジプトの街はインドよりも更にカオスで、道端には馬の糞やゴミが散乱し、空腹で気が立ってるのか車道ではドライバー同士の喧嘩が絶えない。
大通りから脇に入るとラマダン開けに向けて屋台が料理やパンを仕込んでいる。スピーカーから日没の祈りの声が響き渡り住民たちが飲食店に集まり始める。
安全に夕食を食べられそうな店が見つからず現地チェーンのファストフード店へ。店内に柄の悪い若者が集まってきたので外の高架下のテラス席でハンバーガーを食べる。
カイロ
サッカラの遺跡の帰り道にカーペット・スクールと呼ばれる観光客向けの工房に寄る。
1階の工房では職人たちが器用に手作業でシルクやコットンの糸を紡ぎ鮮やかな模様の絨毯を織っている。エレベーターで2階に上がると部屋中に絨毯が並べられている。以前ウズベキスタンで見たペルシャ絨毯に比べると色使いが明るい。日本語のガイドに警戒したものの、押し売りされることもなく穏やかに見学させれもらえた。
帰り際に恒例の土産屋に連れ込まれるもお断りしてツアーは終了。自分の断り方がはっきりし過ぎてたせいか、何故かガイドから怒らせてゴメンと謝られてしまった。
カイロ
サッカラの遺跡の帰り道にカーペット・スクールと呼ばれる観光客向けの工房に寄る。
1階の工房では職人たちが器用に手作業でシルクやコットンの糸を紡ぎ鮮やかな模様の絨毯を織っている。エレベーターで2階に上がると部屋中に絨毯が並べられている。以前ウズベキスタンで見たペルシャ絨毯に比べると色使いが明るい。日本語のガイドに警戒したものの、押し売りされることもなく穏やかに見学させれもらえた。
帰り際に恒例の土産屋に連れ込まれるもお断りしてツアーは終了。自分の断り方がはっきりし過ぎてたせいか、何故かガイドから怒らせてゴメンと謝られてしまった。
カイロ
サッカラの遺跡群、最後はジェセル王のピラミッドを設計したイムホテプの名前を冠する博物館へ。ミイラや石像、土器など様々な発掘物が収められている。
最初の大広間には猫や犬の石像が飾られている。ガイドにミイラが展示されてる部屋に案内される。鮮やかな木棺に収められたミイラは古代の高貴な人物。そして世界最古の王族の本物のミイラが展示されている。黒ずんで干からびているが何故か表情だけは残っている。
死後の世界を描いた絵や小型のスフィンクスも展示されている。日本が縄文時代で村社会ですらなかった時代のもの。古代エジプト文明がいかに高度であったか思い知らされる。
カイロ
サッカラの遺跡群、最後はジェセル王のピラミッドを設計したイムホテプの名前を冠する博物館へ。ミイラや石像、土器など様々な発掘物が収められている。
最初の大広間には猫や犬の石像が飾られている。ガイドにミイラが展示されてる部屋に案内される。鮮やかな木棺に収められたミイラは古代の高貴な人物。そして世界最古の王族の本物のミイラが展示されている。黒ずんで干からびているが何故か表情だけは残っている。
死後の世界を描いた絵や小型のスフィンクスも展示されている。日本が縄文時代で村社会ですらなかった時代のもの。古代エジプト文明がいかに高度であったか思い知らされる。
カイロ
テティ王のピラミッドの周りには王族や高官のマスタバ(長方形型の墳墓)が多く残っている。中でもティのマスタバは壁画の保存状態がよく、当時の人々の生活や儀式、ナイル川の漁の様子を描いた鮮やかな壁画が残っている。川には巨大魚であるナイルパーチやワニ、神の化身であるウナギ、船を陸で引くのは牛にヤギ、共に生きる犬など様々な動物が描かれている。
古代エジプト人は小麦を育て、野菜を積み、儀式ではワインを飲む。生活様式はローマなど地中海ヨーロッパ世界と共通するところが多い。これらは埋葬者の在りし日を偲ぶものとして描かれている。
マスタバを出て、車で丘をおり、最後に博物館へ向かう。
カイロ
テティ王のピラミッドの周りには王族や高官のマスタバ(長方形型の墳墓)が多く残っている。中でもティのマスタバは壁画の保存状態がよく、当時の人々の生活や儀式、ナイル川の漁の様子を描いた鮮やかな壁画が残っている。川には巨大魚であるナイルパーチやワニ、神の化身であるウナギ、船を陸で引くのは牛にヤギ、共に生きる犬など様々な動物が描かれている。
古代エジプト人は小麦を育て、野菜を積み、儀式ではワインを飲む。生活様式はローマなど地中海ヨーロッパ世界と共通するところが多い。これらは埋葬者の在りし日を偲ぶものとして描かれている。
マスタバを出て、車で丘をおり、最後に博物館へ向かう。
カイロ
南に向かう。セド祭の宴会が開かれていた小規模な中庭を抜ける。東をヘブセド神殿と呼ばれる王の小館が仕切る。この壁沿いの石積みで記念写真を撮ってもらう。
北にある崩れかけのテティ王のピラミッドへ。ジェセル王が紀元前27世紀の第3王朝のファラオであるのに対し、テティ王は紀元前24世紀の第6王朝。時代が進むに連れて財政的に厳しくなりピラミッドも安普請になる。
地下の玄室に向かう。壁画は無く台座が並ぶ。カメラを向けると管理人がライトを当てて金銭を要求してくる。欧米系の女性に頼まれ写真を何枚か撮影してると、後ろから管理人が追ってくる。逃げるようにピラミッドから脱出した。
カイロ
南に向かう。セド祭の宴会が開かれていた小規模な中庭を抜ける。東をヘブセド神殿と呼ばれる王の小館が仕切る。この壁沿いの石積みで記念写真を撮ってもらう。
北にある崩れかけのテティ王のピラミッドへ。ジェセル王が紀元前27世紀の第3王朝のファラオであるのに対し、テティ王は紀元前24世紀の第6王朝。時代が進むに連れて財政的に厳しくなりピラミッドも安普請になる。
地下の玄室に向かう。壁画は無く台座が並ぶ。カメラを向けると管理人がライトを当てて金銭を要求してくる。欧米系の女性に頼まれ写真を何枚か撮影してると、後ろから管理人が追ってくる。逃げるようにピラミッドから脱出した。