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@psychama.bsky.social
everyday bullshitting without updating
AIも計算資源に限界はあるのだから、やはりエラー検知などを行うにあたって人間と同じように資源配分が問題になるのかもしれない
September 17, 2026 at 5:37 AM
AとBの間に相関がなかったらA→Bという因果は(絶対に)ない、というのは間違いで、それこそAIに聞けば一発で正しい考え方を教えてくれると思います
September 17, 2026 at 5:36 AM
清水俊史センセの発言が大して話題になっていなさそうなブルスカは平和である…
September 17, 2026 at 5:29 AM
ツイッターでは「評価の定まった経済学の実証論文」に関する話と「一般書」に関する話がいとも簡単に同じものとされていて、まぁ見ていて飽きないなぁとは思う。文章をちゃんと読んでる人はごくわずかで、雰囲気を読み取ってる人が多いんだとは思う。

しかも、ツイッターみたいな大量情報処理の空間について言えば、それこそAIの方がよっぽど優れているわけで、人間がツイッターをわざわざやってるということ自体が「情報処理コストの観点」だけで言えば、本当にもったいないことをしてるような気もする。
September 17, 2026 at 1:50 AM
人間の fallibility がAIによって可視化されるというのは半分はその通りだと思うんだけども、人間の fallibility を検証する AI を用いる人間の fallibility がスルーされているように見えるのは解せない。個人的には「人間が誤る」という立場に立てば、AI と比べてという話をしていてもあんまり意味はなくて、「AI によって検証している人間の誤りが、元の人間の誤りよりもマシである」という点を言わないといけないのではと感じる
September 17, 2026 at 1:40 AM
「AIが、事実誤認、因果の過大主張、恣意的なデータ引用などを短時間で指摘してくれるようになった」と言う人がいたんだけど、実のところAIが軽減しているのは大規模情報処理のコストくらいなもので、最初のアウトプットに対して思ってもいないような雑な反論をするだけで主張を弱めてくるって本当によくあるから、少なくとも今のところは「短時間で」の部分しかまともな意味がないと思うんですよね。特に因果の過大主張なんてなんならAIの「得意分野」ですらあると思う(学習データが既に因果の過大主張をしてきていることも相まって)。
September 17, 2026 at 1:32 AM
「悪意」とは「する者」ではなく「見る者」の中にしかないというのはある意味では本質かもしれない。「善意」も同様。
September 16, 2026 at 12:00 PM
そりゃ研究者は無謬な存在ではないのだけれども、どうも「権威的な研究者もこんな間違いをする」から「だから素人も同じように正しい」という「民主主義」の顔をした相対主義がやってくるのは、そう遠い話じゃないような気がしていますし、そこでは人工知能という武器を民間人もひとりひとり携えていて最悪の場合には「議論の当事者がそもそもその議論の意味を理解していない」ことになっていくんだろうなぁとは思ったりもします。

まぁ、人工知能とか書くから新しい事例のように聞こえるやつですが、これも科学史の観点に照らせば「歴史は繰り返す」ってやつではありますね。
September 16, 2026 at 1:25 AM
責任追及の文脈では「意図」という概念を素朴に出してしまうわけだが、個人的には「意図」ってけっこうどうでもいいとは思ってるんですよね。たとえば「データ捏造」は「データ捏造」だから悪いのであって「データ捏造をしようとする意図がなくても」悪いわけだし、意図があろうがなかろうが関係ないでしょって思います。この辺の研究者責任の話って、殺意があるかないかのような刑事責任とかとは結構違う話だと思うんですよね。
September 16, 2026 at 1:11 AM
意図的なp-hackingという文字列を見て、そもそも意図的でないp-hackingがあるのかということを考えてしまうなど
September 16, 2026 at 1:05 AM
無能とかミスで説明できるものを無理に悪意で説明しようとする必要はないと思っていますし、特にこの手のデータハンドリングに関してはまぁね…という印象です(開き直るべきと言いたいわけではなく、誤りは誤りなんですが)
September 16, 2026 at 1:03 AM
それはそれとして,家族関係社会支出と出生率なんて縦断的にもある程度多くデータがとれる領域なんじゃないかとは思ってて,なんで一個ずつだけで回帰モデルやってんのか,その辺も個人的にはよく分かんないんですよね。回帰モデルとは言っても,各国の複数データ使ってマルチレベルでのモデリングとかできないのだろうか。まぁ,一般書としての分かりやすさを優先したのかもしれないが。
September 16, 2026 at 12:59 AM
訂正のお知らせ(図1.3について):山口慎太郎/著『子育て支援の経済学』日本評論社、2021年 note.com/keisemi/n/na...

韓国とイスラエルがデータ処理の過程で抜け落ちていたが,イスラエルは特殊事情すぎるので除外し,韓国を入れて修正しました,ということらしい。修正後の内容を見ても「何かを示唆するような知見」とは思えないが,それは巷で言われているような「チェリーピッキング」云々は関係なく,シンプルにデータそのものの限界が大きいので。何かを「論証」するのに適した分析とは思えないし,個人的にはこれを「正の因果の仮説につながるもの」とすることすら,微妙だと思う。
訂正のお知らせ(図1.3について):山口慎太郎/著『子育て支援の経済学』日本評論社、2021年|経済セミナー編集部
山口慎太郎/著『子育て支援の経済学』(日本評論社、2021年)の第1章・6ページの図1.3「家族関係社会支出が高い国ほど出生率も高い」に誤りがありました。お詫びして訂正します。 ©山口慎太郎 2026年9月16日 子育て支援の経済学|日本評論社 子育て支援の経済学。山口慎太郎氏。日本評論社は1918年創業。法律時報、法学セミナー、数学セミナー、経済セミナー、こころの nippyo...
note.com
September 16, 2026 at 12:49 AM
巷の「エビデンス」云々の本の大半は、たとえ研究者が書いていたとしてもつつけばホコリが出ると思っていますが(特に私の近い領域だと再現性問題とかも相まって大変なことになっていますし、そもそも所謂「法則定立的研究」の知見を個人に適用可能かという問題に加えて、効果量の不確実性とか現実におけるDAGとか色んなことを加味すると現実は複雑系すぎてエビデンスとは何?みたいな話にはなるわけですけど)、それをやりすぎると、われわれは科学というものを一般社会に応用することが事実上不能になるだろうなぁという感覚もありますね。
September 15, 2026 at 3:19 PM
一般書でも何でも厳密にデータを扱うべきだという点には深く同意しますが、統計的な検証の厳密さって、これまた結構難しいんですよねぇ…
September 15, 2026 at 3:13 PM
それはそれとして、山口先生の本の中に「家族関係社会支出と出生率は正の相関関係がある」という記述があるそうで、それが槍玉に上がってるのを見かけたんですが、その弱い相関自体を政策根拠に使おうとしている人に関しては論外にしても、そもそも国レベルの単時点の30個ちょいしかないデータを使って出るような相関係数で何か強い主張をしようとしているなんてまともな計量経済学だったら相当考えにくいんですけどねぇ…
September 15, 2026 at 2:42 PM
別にどうでもいいと言えばどうでもいいことではあるんだけど「研究自体に興味を失っている専任教員がほとんど」と言い切る割にはその根拠が特になくて、根拠っぽく出てくるものが査読付き論文の数になってしまい、それは不十分なのではと言われると「じゃあ中身を見たんですか?」みたいにゴールポストをずらしている様子を見ていると、まぁそれなら無敵でしょうねって感じはしています。そして、無敵の人は無敵であるゆえに「どうでもいい」ってことにはなると思うわけですが、まぁその「どうでもよさ」を言葉にしておくというのも大事なことかもしれないなぁと今は思っています。
September 15, 2026 at 2:27 PM
あんまりこういうことを言うとそれはそれで良くないのかもしれないけど、パッと見では桑原旅人よりも山口慎太郎の方が普通に「業績」はありそうですけどねぇ。桑原さんはどういう見積もりで自分の方が勝っていると思ってるのか正直よく分かんない。

言わずもがな一本の論文の重みとかインパクトとか分野ごとに違うので、「査読付き20本」なんて基準はある程度は文脈化しないとほとんど意味を持たないとも思いますけど。
September 15, 2026 at 1:57 PM
わたしはこう思いました、は「わたしはこう思いました」以上の何者でもないんだけど、なんかこういうのも「連帯」の対象になってしまっているのが昨今という感じはしますねぇ。
September 15, 2026 at 7:35 AM
「オープンレターなんかに賛同する奴がいるからネット民はダメなのである」という主張と「オープンレターなんかに賛同する奴がいるから東大はダメなのである」という主張はレトリック上は同じだと思うんですが、もしもネット言論の中で後者だけが正当な言説として許容されるとして、それを許容する根拠は何なのかってことが大事だとは思います
September 15, 2026 at 7:01 AM
例の件での「削除してください」そのものは「要求」であって、二者間には特に利害関係もないんだから、そこに「圧力」とか「法的根拠」を読み込む時点で変に問題をややこしくしているような気はしている。というか、陰謀論的思考とか言っちゃうとやや侮辱的かもしれないけど、敵に「結託」みたいなものを想像しすぎているんですよね。お互いに。
September 15, 2026 at 3:21 AM
人間の「証拠基準」の設定というのはかなり恣意的ではあって、個人的にはベイズ合理性みたいなもので説明できるのは、理想的ケースだけなんじゃないかと思っているところはありますね。
September 14, 2026 at 5:44 PM
本田由紀先生の一件が下火になりかけているような気がするのだが、風化するというよりは「うっすらと残り続ける」のかなぁという感じもする。日本教育学会がどんな対応をするか次第ではあるけれども。
September 14, 2026 at 2:34 PM
boundary work の問題に向き合うとまぁ何も言えねえなという目で見てしまうところはありますね
September 14, 2026 at 11:44 AM
アカデミアから僕は追放されました、みたいなことを言ってる人が本当に「追放」されているのかはよく分からなくて、まぁ「アカデミア」は少なくともコミュニティの集合体とみなせるだろうし、そこで個々のコミュニティから何らかの形で排除されるということはあり得ると思っているのだが、それは特定のコミュニティからの排除であって、「アカデミアからの追放」と言えるのかっていうね。

ましてや査読付き論文とかをバンバン出せているのであれば、「アカデミアからの追放」という自己定位自体が自己矛盾しているような気がしないでもない。個々のコミュニティからの排除そのものを問題視していく方向ならば理解はできるが…
September 14, 2026 at 11:41 AM