https://suzukiminori.substack.com/
小説「ほころび」(早稲田文学 増刊「家族」)、「トランジット」(すばる2023年8月号)
『エトセトラ』Vol.8 特集「アイドル、労働、リップ」(和田彩花と共同で特集編集)
www.youtube.com/watch?v=W5cZ...
(この曲は、サイン波っぽい音質のキーボードの旋律の導入と、そのリフが本当にすばらしくて、孤独感を模るように効いているように、このタイトルアルバムのすべてにおいても、小室哲哉の鍵盤がいかに感情のムードをとらえ、人に訴えかけてくるかということを感じ入る……)
www.youtube.com/watch?v=W5cZ...
(この曲は、サイン波っぽい音質のキーボードの旋律の導入と、そのリフが本当にすばらしくて、孤独感を模るように効いているように、このタイトルアルバムのすべてにおいても、小室哲哉の鍵盤がいかに感情のムードをとらえ、人に訴えかけてくるかということを感じ入る……)
さておき。
ジェミンが(その理由が何かとは作中で結局は明示はされず)叫ぶシーンはとてもよかったのだけど、そのムードは、globeの曲(を頂点に小室哲哉が女性ボーカルのために書いた歌)がサビで叫ぶようにすさまじい高音域に到達する(「ストレス解消」という巧妙なマーケティング意識も関わっていただろう)作品構造と通じると思うし、日本とは異なる鬱屈を、IMF通貨危機を経た韓国の壮絶な学歴社会に生きる2001年の高校生であるジェミンの心情にも巣食っていただろうし、それらからも、小室哲哉高音域ソ
さておき。
ジェミンが(その理由が何かとは作中で結局は明示はされず)叫ぶシーンはとてもよかったのだけど、そのムードは、globeの曲(を頂点に小室哲哉が女性ボーカルのために書いた歌)がサビで叫ぶようにすさまじい高音域に到達する(「ストレス解消」という巧妙なマーケティング意識も関わっていただろう)作品構造と通じると思うし、日本とは異なる鬱屈を、IMF通貨危機を経た韓国の壮絶な学歴社会に生きる2001年の高校生であるジェミンの心情にも巣食っていただろうし、それらからも、小室哲哉高音域ソ
……
と思ったものの、やはり、ハリスへの言及がありながらも、SNSを通してうかがえる日本でのこの映画の受容のされかたや宣伝においては、トランスフェミニンは眼中にないし、シスジェンダーのゲイが代表
……
と思ったものの、やはり、ハリスへの言及がありながらも、SNSを通してうかがえる日本でのこの映画の受容のされかたや宣伝においては、トランスフェミニンは眼中にないし、シスジェンダーのゲイが代表
それで思うのは、この映画が、既存の日/韓の映画産業において、つまりそれはシスヘテロを中心とする産業がいまだに強固な構造において、さらにつまり観客はシス/ヘテロが前提とされるストーリーテリングや企画がなされるなかで(シ
それで思うのは、この映画が、既存の日/韓の映画産業において、つまりそれはシスヘテロを中心とする産業がいまだに強固な構造において、さらにつまり観客はシス/ヘテロが前提とされるストーリーテリングや企画がなされるなかで(シ
しかし以後、アジアはもちろん、日本でそういった部門が作られたかとか、非常勤でもそういった(十分な教育や実践を積み重ねている識者の)(できれば多様な立場の複数の)コンサルを採用しているといった話は出てないですよね?
しかし以後、アジアはもちろん、日本でそういった部門が作られたかとか、非常勤でもそういった(十分な教育や実践を積み重ねている識者の)(できれば多様な立場の複数の)コンサルを採用しているといった話は出てないですよね?
これらの点が見えてきません。
もしこれらに取り組んできた/いるのなら、積極的に公表するのが良いんじゃなかと思います。
なぜなら、「トランスの物語」を扱うことは、単なる題材選択ではなく、社会的責任を伴う時期にまだまだあるからです。
キャラクターとしての「可視化」だけを前面に出し、社会で就労や訓練(就学)といった点での可視性は検討していない、構造を変える課題があるという点について語らないのであれば、それは表象として、マジョリティの社会からの消費にとどまります。
それを欺瞞的ではないかと思います。
これらの点が見えてきません。
もしこれらに取り組んできた/いるのなら、積極的に公表するのが良いんじゃなかと思います。
なぜなら、「トランスの物語」を扱うことは、単なる題材選択ではなく、社会的責任を伴う時期にまだまだあるからです。
キャラクターとしての「可視化」だけを前面に出し、社会で就労や訓練(就学)といった点での可視性は検討していない、構造を変える課題があるという点について語らないのであれば、それは表象として、マジョリティの社会からの消費にとどまります。
それを欺瞞的ではないかと思います。
だから昨夜の投稿には、感情的な面が強調されていたと思います。
Netflix Japanは、トランスをテーマにした作品を配信し、そのオーディション(が公開で行われたかどうかは不明)にはトランスである人も参加したといいます。
ですが、
・業界内でトランスの人材育成や雇用拡大に取り組んでいるのか
・制作決定層やコンサルタントにトランスである人々や、最低でも、そういった知識を有する識者をアサインしているのか
・単発の出演に
だから昨夜の投稿には、感情的な面が強調されていたと思います。
Netflix Japanは、トランスをテーマにした作品を配信し、そのオーディション(が公開で行われたかどうかは不明)にはトランスである人も参加したといいます。
ですが、
・業界内でトランスの人材育成や雇用拡大に取り組んでいるのか
・制作決定層やコンサルタントにトランスである人々や、最低でも、そういった知識を有する識者をアサインしているのか
・単発の出演に
だけど、その形式がどんな社会的効果を持ったのか? ということをはるなさん個人にも考え直してほしいですし(はるなさんがそうだったということではなく、ニューハーフ業界では「自分を女などと思うな」と若い世代に言うような傾向は、割とあった/今もあると思います)、現在もこうした偏見を助長する表現を再生産している、巨大プラットフォーム側の責任は問われて当然だと思います。
そういう点から批評や検証は重要だと思います。
- - -
②で言及したように、蓄積や運動の歴史を無視したまま「ポジティブな意味がある」とだけ言われると、②に影響を受けながら、自分にとっても切実な問題として、書き手として
だけど、その形式がどんな社会的効果を持ったのか? ということをはるなさん個人にも考え直してほしいですし(はるなさんがそうだったということではなく、ニューハーフ業界では「自分を女などと思うな」と若い世代に言うような傾向は、割とあった/今もあると思います)、現在もこうした偏見を助長する表現を再生産している、巨大プラットフォーム側の責任は問われて当然だと思います。
そういう点から批評や検証は重要だと思います。
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②で言及したように、蓄積や運動の歴史を無視したまま「ポジティブな意味がある」とだけ言われると、②に影響を受けながら、自分にとっても切実な問題として、書き手として
特に、1990年代〜2000年代は、トランスという言葉もほとんど知られておらず、トランスの人たちへの就労や就学の困難なども、(今も全然足りてないけど)ほとんど一般に共有される機会がなかったと思います。
そんななか、「ニューハーフ」として水商売に従事し、そこから、当時ブームだった「オネエ」という枠組みに乗って、テレビを中心としたメディア産業内であの形式でしか居場所を持てなかった、厳しい現実も
特に、1990年代〜2000年代は、トランスという言葉もほとんど知られておらず、トランスの人たちへの就労や就学の困難なども、(今も全然足りてないけど)ほとんど一般に共有される機会がなかったと思います。
そんななか、「ニューハーフ」として水商売に従事し、そこから、当時ブームだった「オネエ」という枠組みに乗って、テレビを中心としたメディア産業内であの形式でしか居場所を持てなかった、厳しい現実も
このスローガンは、そういった背景から出てきた、運動の言葉です。
そうした議論や、現在の「望ましさ」は、アメリカから大きな影響を受けながら、しかし異なる歴史を歩んできた日本ではなかなかインストールが難しいし、追いつけない、という論点はあると思います。
ただ、このスローガンを持ってきておいて、その背景も考慮せず、「詮索はよくない」「推測は軽率」といった一般論で包んでしまうと、この歴史や運動や議論を都合よくつまみ食いしているだけ、表層的に利用しているだけなんじゃないかと思います。
③ 個人と構造はわけて考えたい
はるな愛さん個人の生存戦略としての、「ニューハーフ」や
このスローガンは、そういった背景から出てきた、運動の言葉です。
そうした議論や、現在の「望ましさ」は、アメリカから大きな影響を受けながら、しかし異なる歴史を歩んできた日本ではなかなかインストールが難しいし、追いつけない、という論点はあると思います。
ただ、このスローガンを持ってきておいて、その背景も考慮せず、「詮索はよくない」「推測は軽率」といった一般論で包んでしまうと、この歴史や運動や議論を都合よくつまみ食いしているだけ、表層的に利用しているだけなんじゃないかと思います。
③ 個人と構造はわけて考えたい
はるな愛さん個人の生存戦略としての、「ニューハーフ」や
そういった「ギャップのネタ化」という演出や表現に影響を受けて傷ついた人は少なくないと思います。
これは道徳の話ではなく、社会環境の話です。
② 「トランスジェンダーの役柄はトランスである俳優に」は文脈を持つスローガン
アメリカの映画・テレビドラマなどのメディア産業内では雇用機会の欠如、シスジェンダー俳優による役の独占、そもそもトランスの物語が少ない、制作決定層や創作の中心にいるプロデューサー、作家、演出家などにトランスである人々がほとんどいない現実があり、それは、人種主義や植民地主義などの差別や暴力
そういった「ギャップのネタ化」という演出や表現に影響を受けて傷ついた人は少なくないと思います。
これは道徳の話ではなく、社会環境の話です。
② 「トランスジェンダーの役柄はトランスである俳優に」は文脈を持つスローガン
アメリカの映画・テレビドラマなどのメディア産業内では雇用機会の欠如、シスジェンダー俳優による役の独占、そもそもトランスの物語が少ない、制作決定層や創作の中心にいるプロデューサー、作家、演出家などにトランスである人々がほとんどいない現実があり、それは、人種主義や植民地主義などの差別や暴力
はるな愛さんがいたニューハーフ業界なんて、今でもオカマ、オネエでやってる人なんてわんさかいるんだし、中途半端に「人権に目配せ」みたいな態度に見えてならない。
はるな愛さんがいたニューハーフ業界なんて、今でもオカマ、オネエでやってる人なんてわんさかいるんだし、中途半端に「人権に目配せ」みたいな態度に見えてならない。
もちろん、「他者のジェンダーを詮索する」とか「カミングアウトを強制する」ということは問題だと思う。
しかし、表象をめぐる社会へのネガティブなものを中心とする影響は軽視できず、また産業内での労働機会の欠如や待遇の不均衡といった問題は、その産業だけの問題ではなく、社会全体の問題とも通じるはず。その差別に関わる諸問題と通じるスローガンであるはずの「トランスの役柄はトランスである俳優に」に象徴される運動や実践と社会背景を無視して、そのスローガンに関わる話題を無視し、「良いこと」としてのみ取り上げるのはずるいと思うし、欺瞞的と感じてしまう。
だったら「オネエ」で何が悪いのか?
さらに、個人的
もちろん、「他者のジェンダーを詮索する」とか「カミングアウトを強制する」ということは問題だと思う。
しかし、表象をめぐる社会へのネガティブなものを中心とする影響は軽視できず、また産業内での労働機会の欠如や待遇の不均衡といった問題は、その産業だけの問題ではなく、社会全体の問題とも通じるはず。その差別に関わる諸問題と通じるスローガンであるはずの「トランスの役柄はトランスである俳優に」に象徴される運動や実践と社会背景を無視して、そのスローガンに関わる話題を無視し、「良いこと」としてのみ取り上げるのはずるいと思うし、欺瞞的と感じてしまう。
だったら「オネエ」で何が悪いのか?
さらに、個人的
〈はるな愛、中村中、望月春希などといった存在のジェンダーについて細かく考えていくことはしないし、本人たちがとくに公表していない部分をことさら知る必要もない〉
〈ポジティブに描く本作は、大きな意味がある〉
と書くのは、ひどいなと思いました。
realsound.jp/movie/2026/0...
わたしはこのテーマについて、キネマ旬報、早稲田大学演劇博物館での企画展「Inside/Out ─映像文化とLGBTQ+」の図録、ウェブメディアなどで何度か「トランスの役柄はトランスである俳優に」というテーマで書いてきたし、SNSでも書いて
〈はるな愛、中村中、望月春希などといった存在のジェンダーについて細かく考えていくことはしないし、本人たちがとくに公表していない部分をことさら知る必要もない〉
〈ポジティブに描く本作は、大きな意味がある〉
と書くのは、ひどいなと思いました。
realsound.jp/movie/2026/0...
わたしはこのテーマについて、キネマ旬報、早稲田大学演劇博物館での企画展「Inside/Out ─映像文化とLGBTQ+」の図録、ウェブメディアなどで何度か「トランスの役柄はトランスである俳優に」というテーマで書いてきたし、SNSでも書いて