末法の教主・御本仏・日蓮大聖人の御金言。
創価学会初代会長・牧口先生・2代目会長・戸田先生・3代目会長・池田先生の御指導。
(副教学部長・河合師範御指導/辻副会長御指導)
確信になり題目の力を疑う事はありません。
本当に題目の力は凄いです。
「絶対にこうなる!こうする!」と題目を上げると本当に願いは叶います。
池田先生
「日本国の位を譲ろう」との誘惑があろうとも「父母の頸を刎ねる」との脅迫があろうとも、そうした大難には絶対に屈することはない。どんなに身命におよぶような大難であっても、風の前の塵のように吹き払っていく事ができるとの御断言です。
「日本国の位を譲ろう」との誘惑があろうとも「父母の頸を刎ねる」との脅迫があろうとも、そうした大難には絶対に屈することはない。どんなに身命におよぶような大難であっても、風の前の塵のように吹き払っていく事ができるとの御断言です。
『元品の法性は梵天・帝釈と顕れ、元品の無明は第六天の魔王と顕れたり』📖997㌻
と仰せの通りです。
不信によって、生命が元品の無明に覆われてしまえば、自分を取り巻く環境が悪鬼神の働きとなって現われてしまう。
それを、打ち破っていけるのが信心の利剣です。
『元品の法性は梵天・帝釈と顕れ、元品の無明は第六天の魔王と顕れたり』📖997㌻
と仰せの通りです。
不信によって、生命が元品の無明に覆われてしまえば、自分を取り巻く環境が悪鬼神の働きとなって現われてしまう。
それを、打ち破っていけるのが信心の利剣です。
生命が変わらないとまたやるから。決意すればよい。
これから良くなればいい。後ろ向き運転は事故の元。
過去のことは振り返らないこと。良くなればいい。過去のことが活きてくるから。振り返っても落ち込むだけ。
いつも前向き、強気でいい。先生は「タッチの差だ」と言われている。
生命が変わらないとまたやるから。決意すればよい。
これから良くなればいい。後ろ向き運転は事故の元。
過去のことは振り返らないこと。良くなればいい。過去のことが活きてくるから。振り返っても落ち込むだけ。
いつも前向き、強気でいい。先生は「タッチの差だ」と言われている。
魔は誰の生命にも潜んでいます。
油断が生じ惰性に陥ると、たちまち魔が動き出し身を破っていきます。
魔はいつもこちらの隙を伺っているからです。
少しでも油断があれば、その隙間から魔は侵入する。
絶えず前進していく信心によってしか魔を破る事はできない。
魔は誰の生命にも潜んでいます。
油断が生じ惰性に陥ると、たちまち魔が動き出し身を破っていきます。
魔はいつもこちらの隙を伺っているからです。
少しでも油断があれば、その隙間から魔は侵入する。
絶えず前進していく信心によってしか魔を破る事はできない。
いわば、”仏の入其身”であり「内薫外護※」です。
どこまでも諸天の守護は、自身の「信心の厚薄」によって決まります。だからこそ、魔は魔と鋭く見破って打ち払い、決定した題目で諸天を揺り動かしていくのです。
※ 一切衆生の生命に内在する仏性が妙法の信によって、香りが染みわたるように顕現していくことを内薫といい、この内薫に呼応して外からその生命を護り助ける働きが起こることを外護という。
いわば、”仏の入其身”であり「内薫外護※」です。
どこまでも諸天の守護は、自身の「信心の厚薄」によって決まります。だからこそ、魔は魔と鋭く見破って打ち払い、決定した題目で諸天を揺り動かしていくのです。
※ 一切衆生の生命に内在する仏性が妙法の信によって、香りが染みわたるように顕現していくことを内薫といい、この内薫に呼応して外からその生命を護り助ける働きが起こることを外護という。
お金持ちだから偉いのではない。社会的地位があるから偉いのでもない。そうではなく、本当に尊貴なのは、最高の法を持った人なのである。そして、その尊貴な人がいる場所が、そのまま「本有常住の常寂光土」なのである。
大聖人は、こうも仰せである。
「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである」456㌻
と。妙法を持った皆さまが、第一に尊い方々である。ゆえに、皆さまをいじめれば、厳しい仏罰を受ける事は、御書に示されている通りである。
お金持ちだから偉いのではない。社会的地位があるから偉いのでもない。そうではなく、本当に尊貴なのは、最高の法を持った人なのである。そして、その尊貴な人がいる場所が、そのまま「本有常住の常寂光土」なのである。
大聖人は、こうも仰せである。
「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである」456㌻
と。妙法を持った皆さまが、第一に尊い方々である。ゆえに、皆さまをいじめれば、厳しい仏罰を受ける事は、御書に示されている通りである。
一人の人に仏法対話をしていくにも、今を逃したら、いつまたじっくり話せるか分からない。また、この人の宿命転換は今しかない、と真剣に接していくならば、その人生は、すでに臨終只今の精神に通じているのではないでしょうか。
御本尊への唱題にあっても、教学を学ぶにしても、激励の手紙を書くにしても、一瞬一瞬、真剣に取り組んでいくことが何より大切なのです。思うに一生といっても、現在の一瞬の積み重ねであります。
一人の人に仏法対話をしていくにも、今を逃したら、いつまたじっくり話せるか分からない。また、この人の宿命転換は今しかない、と真剣に接していくならば、その人生は、すでに臨終只今の精神に通じているのではないでしょうか。
御本尊への唱題にあっても、教学を学ぶにしても、激励の手紙を書くにしても、一瞬一瞬、真剣に取り組んでいくことが何より大切なのです。思うに一生といっても、現在の一瞬の積み重ねであります。
透徹した仏法の因果律に照らすならば、運命は嘆き悲しむものではない。決然と立ち向かうものである。否、断固として創り変えていくものである。
我が師・戸田先生は、師子王でありました。故に、その弟子である私も、一切の悲哀や感傷を打ち破りました。私の胸奥には、広布の師匠の為に命を捧げて戦う随喜が燃え滾っていた。この師弟不二の烈々たる一念を因として、正義の反転攻勢の渦を巻き起こしてい...
透徹した仏法の因果律に照らすならば、運命は嘆き悲しむものではない。決然と立ち向かうものである。否、断固として創り変えていくものである。
我が師・戸田先生は、師子王でありました。故に、その弟子である私も、一切の悲哀や感傷を打ち破りました。私の胸奥には、広布の師匠の為に命を捧げて戦う随喜が燃え滾っていた。この師弟不二の烈々たる一念を因として、正義の反転攻勢の渦を巻き起こしてい...
そのためには「勇気」が必要です。反対に、臆病に囚われた弱い戦いでは、生死の苦悩を転換することはできません。
そのためには「勇気」が必要です。反対に、臆病に囚われた弱い戦いでは、生死の苦悩を転換することはできません。
「妙法」に「わが生命」を合致させゆく為の唱題です。ゆえに祈りとは、自身の一念における、法性と無明との熾烈な闘争です。この戦いに勝ち〝自分の生命が妙法の当体である〟と確信しきる事が「成仏の直道」であるとの御断言なのです。
即ち、無明に覆われて気づかなかった妙法と一体の本来の自己に目覚める戦いです。ですから「苦楽ともに思い合せて」(1143㌻)、迷いの自分に克ちゆく唱題を重ねる事が最も大切なのです。
「妙法」に「わが生命」を合致させゆく為の唱題です。ゆえに祈りとは、自身の一念における、法性と無明との熾烈な闘争です。この戦いに勝ち〝自分の生命が妙法の当体である〟と確信しきる事が「成仏の直道」であるとの御断言なのです。
即ち、無明に覆われて気づかなかった妙法と一体の本来の自己に目覚める戦いです。ですから「苦楽ともに思い合せて」(1143㌻)、迷いの自分に克ちゆく唱題を重ねる事が最も大切なのです。
困難が大きければ、それだけ、乗り越えた歓喜も大きい。
日蓮大聖人は
📖「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せです。
悩みがあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。それが、学会精神です。
「一心の妙用」とあるように、一念の力は不思議です。
一念の力は無限です。
信心の強き一念は、世界のいかなるものよりも優れた最高の力です。周りの人にも歓喜を分け与えていける。
一念の力は、全世界🌏、全宇宙🌌よりも大きい。
それが我が生命に厳然とそなわっているのです。
困難が大きければ、それだけ、乗り越えた歓喜も大きい。
日蓮大聖人は
📖「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せです。
悩みがあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。それが、学会精神です。
「一心の妙用」とあるように、一念の力は不思議です。
一念の力は無限です。
信心の強き一念は、世界のいかなるものよりも優れた最高の力です。周りの人にも歓喜を分け与えていける。
一念の力は、全世界🌏、全宇宙🌌よりも大きい。
それが我が生命に厳然とそなわっているのです。
建設は死闘。破壊は一瞬である。悪が盛んになれば、善が滅びる。
不惜身命で悪と戦う勇者がいる限り、善は守られる。
しかし、もしその精神が失われれば、崩壊はすぐに始まってしまう。
このことを、よくよく心に留めていただきたい。【謗法】
建設は死闘。破壊は一瞬である。悪が盛んになれば、善が滅びる。
不惜身命で悪と戦う勇者がいる限り、善は守られる。
しかし、もしその精神が失われれば、崩壊はすぐに始まってしまう。
このことを、よくよく心に留めていただきたい。【謗法】
徹して邪悪を、また極悪を責め続けるのだ。
逡巡も、甘えも、油断も、感傷も、一切を排して、完全勝利をめざす真剣勝負の中でこそ
自己自身を磨き鍛えることができるのだ。
徹して邪悪を、また極悪を責め続けるのだ。
逡巡も、甘えも、油断も、感傷も、一切を排して、完全勝利をめざす真剣勝負の中でこそ
自己自身を磨き鍛えることができるのだ。
そのカギが「臨終只今」の信心を確立するかいなかにあるのだという、宿命転換の原理を教えられている御文と拝します。
そのカギが「臨終只今」の信心を確立するかいなかにあるのだという、宿命転換の原理を教えられている御文と拝します。
最後までわれわれの頭にあるのは、ご本尊様、ご本尊様がお喜びくださった。きょうはたったひとりのおばあさんと話し合ってみる。あのおばあさんが喜んで帰った、ああよかったな、こういうことになる。それでいい。
最後までわれわれの頭にあるのは、ご本尊様、ご本尊様がお喜びくださった。きょうはたったひとりのおばあさんと話し合ってみる。あのおばあさんが喜んで帰った、ああよかったな、こういうことになる。それでいい。
日蓮を恋しく思われたなら、常に太陽、夕べに出る月を拝まれるがよい。(日蓮は)いつであっても、太陽や月に影を浮かべる身なのです。
“たとえ直接、会えなくても、私はいつも、あなたのそばにいますよ”
“太陽☀️や月🌕に姿を浮かべて必ず見守っていますよ”
“永遠に一緒ですよ”
――これが御本仏の御心である。仏法の真髄である。
日蓮を恋しく思われたなら、常に太陽、夕べに出る月を拝まれるがよい。(日蓮は)いつであっても、太陽や月に影を浮かべる身なのです。
“たとえ直接、会えなくても、私はいつも、あなたのそばにいますよ”
“太陽☀️や月🌕に姿を浮かべて必ず見守っていますよ”
“永遠に一緒ですよ”
――これが御本仏の御心である。仏法の真髄である。
それが肝心
絶対信心で解決しようという強い決意と、具体的な目標を決めて一念を定めて祈る事を『祈る』と言う
だから叶う
×目標が曖昧な惰性の祈り
×どうしようか…と方法論を考えてるのは迷いの唱題
×だめだろうなぁと思ってるのは不信の唱題
それが肝心
絶対信心で解決しようという強い決意と、具体的な目標を決めて一念を定めて祈る事を『祈る』と言う
だから叶う
×目標が曖昧な惰性の祈り
×どうしようか…と方法論を考えてるのは迷いの唱題
×だめだろうなぁと思ってるのは不信の唱題
不惜身命でなければ、民衆を守る事はできない。「身命をすてて強敵の科を顕せ」の一文を心に刻みたい。魔と闘い、強敵の科を責め出さなければ真の勝利は断じて無い。師子王が動く事で魔は退散する。仏法を守るべき時には、猛然と魔軍を駆り出していかなければならない。油断は絶対に禁物です。どんな敵も全力で戦う。それでこそ師子です。真剣勝負ゆえに、師子王は、周囲が“ここまで”と思うぐらいに一つ一つに全魂を込めて取り組むのです。“守り”でなく、“攻め”です。
不惜身命でなければ、民衆を守る事はできない。「身命をすてて強敵の科を顕せ」の一文を心に刻みたい。魔と闘い、強敵の科を責め出さなければ真の勝利は断じて無い。師子王が動く事で魔は退散する。仏法を守るべき時には、猛然と魔軍を駆り出していかなければならない。油断は絶対に禁物です。どんな敵も全力で戦う。それでこそ師子です。真剣勝負ゆえに、師子王は、周囲が“ここまで”と思うぐらいに一つ一つに全魂を込めて取り組むのです。“守り”でなく、“攻め”です。
私は日蓮大聖人様にだまされる。仏様にだまされるなら本望じゃないか。いな、仏すなわち大聖人は絶対にだまさない。
安心して大聖人に南無していきましょう。
これが戸田の大精神です。
私は日蓮大聖人様にだまされる。仏様にだまされるなら本望じゃないか。いな、仏すなわち大聖人は絶対にだまさない。
安心して大聖人に南無していきましょう。
これが戸田の大精神です。
濁りきった命は変わりようがないから。御本尊が、すべてを厳然と裁きます。御書に仰せのように、末法は悪人が集まった世界であり、ヤキモチ焼きの世界で、いつも善人がいじめられる。 ゆえに「しょうがない」と笑い飛ばして、楽しく、晴れ晴れと生きたほうが得である。そのように聡明な「知恵」を輝かせていくのがまた「創価ルネサンス・栄光の年」であろう。
濁りきった命は変わりようがないから。御本尊が、すべてを厳然と裁きます。御書に仰せのように、末法は悪人が集まった世界であり、ヤキモチ焼きの世界で、いつも善人がいじめられる。 ゆえに「しょうがない」と笑い飛ばして、楽しく、晴れ晴れと生きたほうが得である。そのように聡明な「知恵」を輝かせていくのがまた「創価ルネサンス・栄光の年」であろう。
(戸田先生)
これが本当の「九界即仏界」です。腹が立つのは修羅界。愉快なのは仏界。また仏界即九界で、仏界を得たといっても、永遠に悩みはある。
さあ、ここで大事なのは「自覚」です。「十界本有」であるから、十界のいずこにいようとも、久遠の妙法を信じれば、直ちに仏界が湧く。「信心」の自覚を忘れなければ、たとえ修羅の世界にいようとも、そこは寂光土です。
(戸田先生)
これが本当の「九界即仏界」です。腹が立つのは修羅界。愉快なのは仏界。また仏界即九界で、仏界を得たといっても、永遠に悩みはある。
さあ、ここで大事なのは「自覚」です。「十界本有」であるから、十界のいずこにいようとも、久遠の妙法を信じれば、直ちに仏界が湧く。「信心」の自覚を忘れなければ、たとえ修羅の世界にいようとも、そこは寂光土です。
『全てに喜びを見いだしていくのだ。
自分が喜べば、周囲もさわやかになる。
笑顔が広がり、価値が生まれる。』
『全てに喜びを見いだしていくのだ。
自分が喜べば、周囲もさわやかになる。
笑顔が広がり、価値が生まれる。』