理論予測が数年前なのに、AIの消費電力問題解決という強烈な需要があって研究に大きな資本が投入され、またAIの助けにより候補物質の絞り込みが爆速化していて、量産化のめどがたったら今あるメモリ生産設備をそのまんま流用できるらしい
Geminiとの会話で知ったのだけど、あまりにも出来すぎた収穫加速の法則過ぎてハルシネーションなのかもしれない…
理論予測が数年前なのに、AIの消費電力問題解決という強烈な需要があって研究に大きな資本が投入され、またAIの助けにより候補物質の絞り込みが爆速化していて、量産化のめどがたったら今あるメモリ生産設備をそのまんま流用できるらしい
Geminiとの会話で知ったのだけど、あまりにも出来すぎた収穫加速の法則過ぎてハルシネーションなのかもしれない…
行き着く先は言語による内ゲバではないだろうか
こういうのを合成の誤謬というのでは
行き着く先は言語による内ゲバではないだろうか
こういうのを合成の誤謬というのでは
本質的には「異質な意識は存在し得るのか」という問い
ひょっとしたらこの宇宙に感情は喜怒哀楽しかないかもしれないし、その結論の方がSF的であるという面白さがある
表現は意識の外部化なので、異星人のアーティファクトが何故か理解できるかもしれない
本質的には「異質な意識は存在し得るのか」という問い
ひょっとしたらこの宇宙に感情は喜怒哀楽しかないかもしれないし、その結論の方がSF的であるという面白さがある
表現は意識の外部化なので、異星人のアーティファクトが何故か理解できるかもしれない
数学は意識がなくてもかなりできるが、文学や芸術は肝心の部分(表現)がスッポ抜けてるので不得意
表現には巧拙の幅がある。これは知能の差で生まれるものと思われていたが、「意識の差」で生まれるものなのかもしれない
また数学分野では新しいジャンルを創造する事が表現なのかも
数学は意識がなくてもかなりできるが、文学や芸術は肝心の部分(表現)がスッポ抜けてるので不得意
表現には巧拙の幅がある。これは知能の差で生まれるものと思われていたが、「意識の差」で生まれるものなのかもしれない
また数学分野では新しいジャンルを創造する事が表現なのかも
敢えて政治的文脈で問うなら、50万人の死と10万人の死、時間的制約などで他の選択肢はないと仮定する、みたいな条件に変更したほうがいい
その場合はレバーを引いてもらわないと困るので元の問いにあった二律背反のエッセンスはなくなる
代わりに、この問い自体を非難する人(国家レベルの判断に無謬性を求める人)が現れるという副作用があり、それはそれで意味のある問いになる気がする
敢えて政治的文脈で問うなら、50万人の死と10万人の死、時間的制約などで他の選択肢はないと仮定する、みたいな条件に変更したほうがいい
その場合はレバーを引いてもらわないと困るので元の問いにあった二律背反のエッセンスはなくなる
代わりに、この問い自体を非難する人(国家レベルの判断に無謬性を求める人)が現れるという副作用があり、それはそれで意味のある問いになる気がする
どちらの指標が使われているか、そこに恣意性はないかは常に気にすべき
どちらの指標が使われているか、そこに恣意性はないかは常に気にすべき
感情誘導のお手軽ハックというか
感情誘導のお手軽ハックというか
生活者の味方みたいなツラしてそう
生活者の味方みたいなツラしてそう
ごにょ!ごにょ!ごにょ!
ごにょ!ごにょ!ごにょ!
戦争抑止は終わりのない、絶え間無い努力と厳しい選択の連続のことであり、戦争のない世界を実現しましためでたしめでたしではない
今も行われている行為が永遠に続くだけである
戦争抑止は終わりのない、絶え間無い努力と厳しい選択の連続のことであり、戦争のない世界を実現しましためでたしめでたしではない
今も行われている行為が永遠に続くだけである
絶対的な倫理が先にあるわけではない
とはいえ教育的にはあると教えなければならないとも思う
絶対的な倫理が先にあるわけではない
とはいえ教育的にはあると教えなければならないとも思う