ayuktaṃ kārayitvāsau kathaṃ yukte pravartayet ||
pāpaṃ kārayitvā tadvyāvartanāya dharme pravartayatīti. keyaṃ prekṣāpūrvakāritā bhagavataḥ? tad idam āyātam — "prakṣālya tyakṣyāmi" iti.
ayuktaṃ kārayitvāsau kathaṃ yukte pravartayet ||
pāpaṃ kārayitvā tadvyāvartanāya dharme pravartayatīti. keyaṃ prekṣāpūrvakāritā bhagavataḥ? tad idam āyātam — "prakṣālya tyakṣyāmi" iti.
罪( pāpa )をなさしめてから、それを排除するために、善業(dharma)へと向かわせるということは、世尊が思慮深い行動をしていることなのか。これではまるで「私は洗ってから捨てることにしよう」という(本末転倒の行為)になってしまう。
罪( pāpa )をなさしめてから、それを排除するために、善業(dharma)へと向かわせるということは、世尊が思慮深い行動をしていることなのか。これではまるで「私は洗ってから捨てることにしよう」という(本末転倒の行為)になってしまう。
在家菩薩→
輪廻内の楽(saṃsārikasukha)をもたらす繁栄(abhyudaya)
出家菩薩→
不苦不楽の性質を持ち、解脱を特徴とする至福(niḥśreyasa)
在家菩薩→
輪廻内の楽(saṃsārikasukha)をもたらす繁栄(abhyudaya)
出家菩薩→
不苦不楽の性質を持ち、解脱を特徴とする至福(niḥśreyasa)
世間の布施→その三つに執着(saṅga)
世間の布施→その三つに執着(saṅga)
施物と受者と施者に関して空である布施が、出世間の波羅蜜であると 説明された。(MA 1.16abc)……
その三つに執著が生じた〔布施〕、それは世間的な波羅蜜であると示された 。(MA 1.16cd)
新作慶明氏の和訳による。
施物と受者と施者に関して空である布施が、出世間の波羅蜜であると 説明された。(MA 1.16abc)……
その三つに執著が生じた〔布施〕、それは世間的な波羅蜜であると示された 。(MA 1.16cd)
新作慶明氏の和訳による。
『『倶舎論』における世親の縁起観』, 平楽寺書店, 2007.
『『倶舎論』における世親の縁起観』, 平楽寺書店, 2007.
....
So iminā ariyena indriyasaṃvarena samannāgato ajjhattaṃ abyāsekasukhaṃ paṭisaṃvedeti.
彼は、この聖なる根の防護を具足して、内に純粋な安楽を受けます。
『中部』「根本五十篇」「譬喩品」第七〔経〕「小象跡喩経 Cūḷahatthipadopamasutta」
光明寺経蔵の和訳を参照。
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So iminā ariyena indriyasaṃvarena samannāgato ajjhattaṃ abyāsekasukhaṃ paṭisaṃvedeti.
彼は、この聖なる根の防護を具足して、内に純粋な安楽を受けます。
『中部』「根本五十篇」「譬喩品」第七〔経〕「小象跡喩経 Cūḷahatthipadopamasutta」
光明寺経蔵の和訳を参照。
眼根が守られないままに住するその者へは、貪欲と憂悩をもたらす悪しき不善の諸法が流れ込みます。それゆえ〔比丘は〕、それ(眼根)の防護のため励行し、眼根を守り、眼根における防護に至ります。
眼根が守られないままに住するその者へは、貪欲と憂悩をもたらす悪しき不善の諸法が流れ込みます。それゆえ〔比丘は〕、それ(眼根)の防護のため励行し、眼根を守り、眼根における防護に至ります。
『尊者よ、そうです。生じるでしょう』
『大王よ、それと同様に、これらの五つの領域は、それぞれの異なった業によって生じたのです。同一の業によって生じたのではありません』
『もっともです、尊者ナーガセーナ』
中村元、早島鏡正訳『ミリンダ王の問い 1』180頁。
『尊者よ、そうです。生じるでしょう』
『大王よ、それと同様に、これらの五つの領域は、それぞれの異なった業によって生じたのです。同一の業によって生じたのではありません』
『もっともです、尊者ナーガセーナ』
中村元、早島鏡正訳『ミリンダ王の問い 1』180頁。
『大王よ、異なった業によって生じたのです。同一の業によって生じたのではありません』
『譬えをのべてください』
『大王よ、異なった業によって生じたのです。同一の業によって生じたのではありません』
『譬えをのべてください』
“Āma bhante, nibbatteyyun”ti.
“Evam eva kho mahārāja yānimāni pañcāyatanāni tāni nānākammehi nibbattāni, na ekena kammenā”ti.
“Kallo si bhante Nāgasenā”ti.
“Āma bhante, nibbatteyyun”ti.
“Evam eva kho mahārāja yānimāni pañcāyatanāni tāni nānākammehi nibbattāni, na ekena kammenā”ti.
“Kallo si bhante Nāgasenā”ti.